2020年8月30日日曜日

2020年08月30日 第5主日礼拝 マグダラのマリア

招詞
 私たちは御前に生きる。私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、地を潤す、後の雨のように。                  ホセア書6章3節 

聖書箇所
ヨハネの福音書20章1節~18節

説教
マグダラのマリア 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/351 主の祈り ① 父よ

 イエスはある場所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」 そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。 『父よ、御名が聖なるものとされますように---』」
                               ルカの福音書11章1~2節

 御父とイエスとの関係は私たちの想像を絶するような深い、親密な、永遠の関係です。そこにはゆるぎない永遠の信頼関係がみられます。そのかかわりを、使徒ヨハネは「永遠のいのち」と呼んでいます。そこに私たちを招こうとしているのが、イエスの言う「父よ」という呼びかけです。しかし、この「父よ」という呼びかけは、生来の私たち人間には簡単にできることではないのです。使徒パウロは、「私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」(ローマ8:15)と述べています。これは「子としてくださる御霊を受けなければ言うことの出来ない呼びかけ」なのです。
                        (銘形「主の祈りの瞑想プラン」より引用) 

2020年8月23日日曜日

2020年08月23日 第4主日礼拝 悔い改めて生きなさい①

招詞
 どのようにして若い人は、自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。私は心を尽くしてあなたを求めています。 詩篇119篇9~10a節 

聖書箇所
エゼキエル書章18節~1章32節

説教
悔い改めて生きなさい① 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
※メッセージに一部誤りがありましたので、訂正しお詫び申し上げます。

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/350 生けるキリスト

 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
                               マタイの福音書16章16節

 インドの聖者と言われたサンダ-・シング(1889~1929)が英国に伝道したときのことである。ひとりの近代主義神学者が、「あなたをインド教からキリスト教に改宗させたもの、キリスト教のみにあってインド教の中にないものは何だったのでしょうか」と質問しました。彼は一言、「それは生けるキリストです」と答えた。すると教授は、不満そうに再び尋ねた。「いや、私がおうかがいしたいのは、キリスト教の中には、インド教とは全く異なったどのようなすばらしい神学や教理があったかということなのです。」 サンダ-・シングは、「神学や教理ではなく、生けるキリストご自身です。」と答えた。教授は不服そうに、「たぶん、私が質問しようとしていることの意味を、あなたに充分伝え得なかったのでしょう。私がお尋ねしていることは、キリスト教の中には、インド教と比較してどのようなすばらしい哲学、あなたをキリスト教に改宗せしめるに充分であった神学、思想があったのですか、という意味なのです。」 サンダ-・シングは重ねて答えた。「それは、生けるキリストでした。」
 サンダ-・シングに言われるまでもなく、聖書を読み、礼拝説教を聞き、クリスチャンの証(体験談)を聞いて、生けるキリストとの出会いを体験することが、神のいのちに生きる出発点であり、中心です。

2020年8月16日日曜日

2020年08月16日 第3主日礼拝 みごとな杉の木

招詞
 幸いなことよ全き道を行く人々、主のみおしえに歩む人々。幸いなことよ、主のさとしを守り心を尽くして主を求める人々。まことに彼らは不正を行わず、主の道を歩みます。
                                  詩篇119篇1~3節

聖書箇所
エゼキエル書章17節~1章24節

説教
みごとな杉の木 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル


言(こと)ローグ/349 主の聖名を大きくする

 私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。               ルカの福音書1章46~48節

 天使による受胎告知の直後、マリヤが歌った「マリヤの賛歌」と呼ばれる箇所です。この時から、マリヤは徹底的に神である主を崇め、高める人生を歩みました。果たして、私は神を大きくしているかどうか、思い巡らさなければなりません。自分を大きくしているなら優越感をいだき傲慢になります。反対に、他人が大きくなると劣等感をいだき卑屈になります。マリヤは冒頭で「わがたましいは主をあがめます(大きくする)」と言っています。優越感や劣等感から自由になれるのは、他人と自分を比べることをせず、ひたすら神とのかかわりの中に自分を置くことによってです。神が自分に対してどのようなお方であるかを知るとき、私たちの霊は喜び、たましいは解き放たれ、自由とされます。焦点を神に合わせて生きるとき喜びを見出します。マリヤははしための自分が神に顧みられたことを喜んでいます。焦点を神に合わせて生きるとき逆転のみわざがなされます。
                         (銘形「一滴の雫シリーズ」より一部引用) 

2020年8月9日日曜日

2020年08月09日 第2主日礼拝 ああエルサレム

招詞
私はあなたに感謝します。あなたが私に答え私の救いとなられたからです。家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。           詩篇118篇21~24節

聖書箇所
エゼキエル書16章1節~15節、53節~63節

説教
ああエルサレム 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル


言(こと)ローグ/348 あわれみを受けて 

 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。                         コリント人への手紙第二4章1節 

 パウロは、神からその務めに仕えるための資格、すなわち「御霊に仕える者」という資格は、神のあわれみを受けていることだと言います。この神のあわれみは、決して観念的なことでなく、神の具体的行動を伴うものです。パウロの場合、神のあわれみはアナニヤが自分のところに遣わされたことによって経験しました。「目からうろこが落ちる」シーンもあり、この出会いは、きわめて象徴的です(使徒9:18)。なぜならパウロはこの「アナニヤ」によって洗礼を受け、教会に受け入れられるようになりました。そしてそのあわれみは神のご計画という偉大な務めを担わせるためでした。迫害者だったパウロが、イエス・キリストの福音を宣べ伝えるという使命を与えられたことは、まさに神さまのあわれみでした。私たちも、能力によらず、神さまのあわれみで喜んでご奉仕をさせていただいている者たちです。 
                        (銘形「一滴の雫シリーズ」より一部引用) 

2020年8月1日土曜日

2020年08月02日 第1主日礼拝 実のならないぶどうの木

招詞
 すべての国々よ主をほめたたえよ。すべての国民よ主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことは とこしえまで。 ハレルヤ。                詩篇117篇1~2節

聖書箇所
エゼキエル書15章1節~8節

説教
実のならないぶどうの木 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/347 みことば欠乏症

 私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。
                         コリント人への手紙第一10章16~17節

 ここには主の食卓における交わり、つまりキリストの血潮によって罪を赦された者たちが、キリストのからだにおいて、一つのパンを食べることでひとつになるという交わりがすでにあることが強調されています。この一つのパンは神のパンです。この神のパンは私たちが「豊かないのち」を得るために必要な糧です。この糧はイエスご自身です。イエスは、私たちに贈られた神のパンなのです。
 神のパンはすでに与えられていますが、私たちがそのパンの豊かさを掘り起こすという努力が十分でない、ということなのです。忙しくて、他の事柄に関心がいって、聖書を読むことが少ない、聖書のことばに耳を傾けるゆとりのない心が蔓延しているのです。神が唯一、この世にいのちを与えるパンを与えてくださったにも関わらず、多くのキリスト者はそのパンの食卓を豊かにするどころか、より貧しくしているのです。私たちは、どうで
しょうか?教会はどうでしょうか?みことば欠乏症にならないようにみことばのパンを毎日きちんと食べましょう。                      (銘形「主の食卓」より引用)