2026年2月22日日曜日

2026年02月22日 第4主日礼拝 洗足の教え

招詞
 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。              詩篇62篇1~2節

聖書箇所
ヨハネの福音書13章1~17節

説教
洗足の教え 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/631 最後の一週間 いちじくの 木 からのたとえ

 弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わりのしるしは、どのようなものですか。」 
                                マタイの福音書24章3節

 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が、戸口まで近づいていることを知りなさい。    マタイの福音書24章32~33節(マルコ 13:28、ルカ 21:29)
 夏を知るには、いちじくの枝や葉を見れば分かります。そのように、キリストの再臨の時期を知るにはこの箇所の前に語られた諸々の現象を見るべきである、とイエスは語ります。
 後半の節は3節に対する答えの要約のようなもので、3節の 「そのようなこと」だけでなく、4~31節に示されたそのほかの、「これらのこと、すべて」が起れば、それは「キリストの再臨と世の終末の兆」であると言われました。ただし、その「時期」については、誰もこれを知ることができない(36節)、とイエスは述べられ、それが、初めの弟子たちの質問への答えだと言われたのです。
 聖書を良く読み、世界の今を見ることで、時を見る目、洞察は常に養っておかなければなりませんね。今、与えられている猶予(あわれみ)の中で神の国の福音を宣べ伝えながら、神の国の完成を仰ぎ待ち望みたいと思います。            (黒崎「イエスの再臨の前兆」より一部引用)
 

2026年2月15日日曜日

2026年02月15日 第3主日礼拝 柔和な者の幸い

招詞
 神よ、あなたへの誓いは私の上にあります。感謝のいけにえで、あなたにそれを果たします。まことに、あなたは救い出してくださいました。私のいのちを死から。私の足をつまずきから。私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むために。          詩篇56篇12~13節

聖書箇所
マタイの福音書5章5節
コロサイ人への手紙3章12~13節

説教
柔和な者の幸い 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/630 最後の一週間 祈りの家で

 それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」
                            マタイの福音書21章12~13節

 上記、「祈りの家」とは教会のことではありません。イザヤ書56章によれば、これは「メシア王国における神殿」のことです。神と人とがともに住む神殿は、メシア王国においては「祈りの家」と呼ばれるのです。その「祈りの家」のことを、イエスは「わたしの父の家」、「わたしの家(イザヤ56:7)」と言っているのです。
 このイザヤ書の預言は、メシア王国における異邦人たちに対するもので教会が携挙されたのちに救われる異邦人(非ユダヤ人すべて)に対する預言であり、彼らを「わたしの聖なる山」、すなわち、エルサレムに連れて来て、「わたしの祈りの家で彼らを楽しませる」という預言です。にもかかわらず、当時の祭司たちは私利私欲のために「神殿を強盗の巣にした」のです。ほどなく神の裁きが下りました。紀元70年9月7日、ローマ軍によりエルサレムは攻略され、神殿は基礎まで徹底的に破壊されました。イエスはこの裁きを知っていて涙を流されたのでした。
 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、お前の子らを集めようとしたことか。それなのに、お前たちはそれを望まなかった。(ルカ13:34)。      (銘形「祈りの家」の意味から一部引用)

2026年2月6日金曜日

2026年02月08日 第2主日礼拝 悲しむ人のこれから

招詞
  主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。主の聖なる山、私たちの神の都で。 
                                     詩篇48篇1節

聖書箇所
マタイの福音書5章3~4節

説教
悲しむ人のこれから 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/629 受難節(レント)と棕櫚の日

 その翌日、(過ぎ越しの)祭りに来ていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」            ヨハネの福音書12章12~13節
(*これまでの訳「しゅろの木の枝」は、新改訳2017では「なつめ椰子の枝」となってます。)

 教会は、イースター前日の土曜日から逆算して46日目、日曜を除けば40日間を受難節と呼んで、イエス様の十字架と復活の季節に心備えをしてきました。今年は、4月5日がイースターですから、46日前は、2月18日です。

 イエス様が十字架にかかられた一週間前は特筆すべきなことが起こり、福音書に記されていますので4つの福音書の最後の部分を読み比べながら受難節を過ごしてみてはいかがでしょうか。

 その中で、上記にあるように、イエス様がロバに乗ってエルサレムに入城したエピソードを記念する「棕櫚の日(Palm Sunday)」は世界中の教会で祝われ、子供も参加できる楽しい礼拝です。この木が育たない緯度の高い地域では他の枝を持ち寄り教会に集まります。私たち家族も1999年に一時ダーウィンに滞在した折、出席教会で受難節とイースターをお祝いしたことがありますが、この日曜日を祝いました。

 もちろん、イエス様は終わりの時に栄光の姿で再臨なさり、エルサレムに帰って来られますが、それまでにサタンと悪霊たち、それにサタンに取り込まれた人たちが世界に挑みます。しかし、主の勝利は定まっています。

2026年2月1日日曜日

2026年02月01日 第1主日礼拝 狭い門から入りなさい

招詞
  すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をもって、神に大声で叫べ。まことに、いと高き方主は恐るべき方。全地を治める、大いなる王。               詩篇47篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書7章13~14節

説教
狭い門から入りなさい 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/628 ハッピーと祝福

 幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。 幸いなことよ、主が咎をお認めにならず、その霊に欺きのない人は。                     詩篇32篇1~2節

 ダビデの詩(うた)です。幸いな人は「祝福された人」の訳語です。直訳は、「そのそむき赦された人、罪を覆われた人は祝福された人」です。
ダビデの気持ちを考えると、感情的な幸せ(ハッピー)よりも深いところの喜びが伝わってきますね。主に愛され、罪赦された者の喜びを「祝福されている」という思いとともにダビデと共有できますね。
 さて、次のローマ教会へのチャレンジは、他者との関係の祝福です。
「あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちともに泣きなさい。互いに一つ心になり、思い上がることなく、むしろ身分の低い人たちと交わりなさい。自分を知恵ある者と考えてはいけません。 だれに対しても、悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。」 
                           ローマ人への手紙12章14~17節
「無理ですよ!」と叫びたくなりますが、これが神様の設定値です。全部、願い下げしますか?
 パウロは、この言葉を実行した人だと思います。そして、ローマ教会のクリスチャンたちにチェレンジしました。私たちはどうでしょうか? 「呪いの思いと言葉をやめる、人のために泣く、高ぶりを捨てる、人を優れていると思う」など、ご聖霊の力を頂ければ、まだまだ私たちにも伸びしろはあるように思いますが、いかがでしょうか?