2018年1月21日日曜日

2018年01月21日 第3主日礼拝 人として住まわれたイエス

招詞
主が地に目を注がれると、地は震え、山々に触れられると、山々は煙を上げます。 私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
                                詩篇104篇32~33節

聖書箇所
ルカの福音書  2章40~52節

説教
人として住まわれたイエス 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/222 主の選び バータル

 「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、・・・・贖い出された。」
                                   申命記 7章7, 8節

  日本のクリスチャンと牧師の中には、マイノリティー(少数派)であることにコンプレックスを感じている方が多いように感じられます。そこにはマジョリティ(多数派)を良しとする考え方があるからかもしれません。
 しかし、神の選びはそうした考え方と相反しています。主イエスも「あなたがたは地の塩です」(マタイ5:13)と言われました。塩はその量が少なくてもその役目を果たすことが出来るのです。むしろ、塩けを十分に保っていることのほうが重要なのです。聖書の神は、単に数が多いことを良いことだとはされない神です。特に、「選び」においてはそうです。神である主が選んでくださった、一人ひとりを愛してくださっていることを喜び、誇りに思いましょう。ご聖霊が働くと強くしていただけます。塩気の効いたクリスチャンをめざしましょう。
                            (銘形「申命記の瞑想」より引用)