2020年6月21日日曜日

2020年06月21日 第3主日礼拝 罪を悲しむ人たち

招詞
 主の御名は聖であり恐れ多い。知恵の初めそれは主を恐れること。これを行う人はみな賢明さを得る。主の誉れは永遠に立つ。                  詩篇111篇9b~10節

聖書箇所
エステル記9章1節~11節

説教
罪を悲しむ人たち 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/341 祝福に満ちた望み
 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。その恵みは、・・・祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。                テトスへの手紙2章11~13節

 キリストの再臨はキリスト教信仰においてきわめて重要です。それゆえ、サタンは必死になってこの教えを混乱させ、脱線させようとしてきました。ネットで検索すると、聖書から外れた悪魔的な教えもまん延(パンデミック)していますから注意しましょう。
 聖書は、「イエス・キリストが再び来られる」と、明言しています。(ヨハネ 14:3、使徒 1:11 など)
 再臨信仰は救いの信仰の要(かなめ)です。もしこの信仰が崩されれば、創造の信仰も、十字架と復活の信仰もすべてが宙に浮いてしまうのです。したがって、再臨に対する正しい理解は是非とも必要なのです。内村鑑三はこう述べています。「十字架が聖書の心臓部であるなら、再臨はその脳髄であろう。再臨なしに十字架は意味をなさない。したがって、私たちクリスチャンは再臨の信仰の立場に立って聖書を通観し、今の世界を見る必要がある」と。
                         (銘形「再臨と終末預言」から一部引用)