2025年8月24日日曜日

2025年08月24日 第四主日礼拝 ある女性の逆転劇

招詞
 ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。 その子孫は地上で勇士となり、直ぐな人たちの世代は祝福される。 繁栄と富はその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。
                                  詩篇112篇1~3節

聖書箇所
ヨハネの福音書4章1~30節

説教
ある女性の逆転劇 田口勇新牧師



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言(こと)ローグ/605 聖書を大まかに知ろう

 草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。    イザヤ書40章8節


 聖書は大きく旧約聖書と新約聖書に分かれます。旧約聖書は、モーセを含む預言者たちによって書かれました。原語はヘブル語(一部アラム語)です。「旧約」とはモーセを通して、神さまとイスラエルの民との間に交わされた契約で,シナイ契約と呼ばれます。「人間が神の前に正しく生きていくにはどのようなことをしなけらばならないか(律法)」ということが神様から示されたのです。イスラエルの民はこれを熱心に守ろうとしました。しかし律法のもうひと
つの一面は、どんなに努力しても守れないという人間の罪を明らかにする為のものでもありました。そしてやがて救い主が現れて新しい契約が与えられるという預言も、この中に書かれています。創世記12:1~3のアブラハム契約は、彼の子孫の一人からメシアが生まれ、その祝福(救い)は全世界民に及ぶというものです。これに対して、モーセの律法はシナイ契約と呼ばれます。
 新約聖書は、イエスの弟子たちや使徒パウロなどによって書かれました。「新約」とはイエス・キリストによって実現した新しい契約(福音)のことです。律法によって罪が明らかにされた私たちは、滅びるしかありません。しかし神さまはそのような私たちに救いの道を与えてくださいました。それがイエスさまの十字架の死と復活なのです。これが福音と言われるもので、イエスさまの誕生以降、新約時代に生きるわたしたちと神さまとの約束です。こんな壮大で素敵な背景を持つ聖書にもっともっと親しみましょう。         (マナ助産院「聖書ブログ」より一部引用)

2025年8月16日土曜日

2025年08月17日 第三主日礼拝 キリスト者の自由 ②

招詞
 知恵の初め、それは主を恐れること。 これを行う人はみな賢明さを得る。 主の誉れは永遠に立つ。                                 詩篇111篇10節

聖書箇所
ガラテヤ書5章13~26節

説教
キリスト者の自由 ② 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/604 七福の教え ②

 心の貧しい者は幸いです。天のみ国はその人たちのものだからです。  マタイの福音書5章3節

 日本人の順拝してきたとされる七福神は、福徳をもたらすとされる7柱の神々です。一般的には、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人の7神を指します。
 七福神と聖書の七福との「幸い観」の違いは、前者は世的であり、後者は天的であると言えます。「心の貧しい人」とは原意は「霊において貧しい人」であって、天国、神、イエス、永遠・・のことをもっと知りたい、関わりたい、という霊的な渇きを意味しています。
 そのような人には「天国は彼らのものである」と言う事実が宣言されています。霊的渇きは自分や他者に対する悲しみや憐れみを生み出し、続く「悲しんでいる人(4節)」はその結果として慰めを得るようになります。「柔和な人(5節)」とは人生の厳しい経験から生み出されるもので、神の国を嗣ぐ者とされます。「義に飢えかわく(6節)」とは、霊的生命の保持のために神の言葉を慕い求めることを意味しています。
 「七福の教え」は利己的な幸福観ではなく、天国に通じる幸福観です。キリスト者の生涯は「天国をゴール」とするものです。しっかりと目的地に目を据え、目先のことに左右されることなく、宇宙大のビジョンを抱いて、日々歩む者とさせて頂きたいものです。
                     (「聖書通読一日一章「七福の教え」より一部引用)

2025年8月10日日曜日

2025年08月10日 第二主日礼拝 キリスト者の自由 ①

招詞
 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげよう。 直ぐな人の交わり、主の会衆において。主ののみわざは偉大、 それを喜ぶすべての人に、尋ね求められるもの。そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に立つ。                          詩篇111篇1~3節

聖書箇所
ガラテヤ書5章1~12節

説教
キリスト者の自由 ① 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/603 七福の教え

 ガリラヤ湖の西岸にエ・タフガという漁村があります。その湖岸より道を上っていくと、山上の説教がなされたと言われる美しい丘があります。そこでイエスは山上の説教(マタイ5-7章)を語りました。最初の五章3-12節は、「幸いです」が繰り返られているので、七福の教えと呼ばれて親しまれていますが、そこには、イエスの弟子であることの意味と報いが語られています。
 文語訳では、「さいわいなるかな」と感嘆の響きのある訳になっており、その方がイエスの意図を忠実に再現しているように思います。つまりイエスは、ここで幸福になる方法や秘訣を語っているのではななく神の子であることの客観的な事実を指摘しています。確かに神の助けと守りを祈り求めざるを得ない心の貧しい者にとって、神の支配の中にあることは、その人の現実ではないでしょうか(3節)、嘆き悲しみ、鬱積(うっせき)した心をぶちまける人は主に慰められます(4節)、自分の無力さと弱さを認め、神に信頼し、神の公平な取扱いに委ねる者は、神が味方になり、しかるべき祝福を受け継がせてくださいます(5節)。同じ姿勢で神の正義を熱心に求める者は、その報いを受けます(6節)。弟子たちは、身じろぎもしないでイエスの言葉に聞き入ってたはずです。あなたはどうですか? <後半へ続く>      (「聖書通読一日一章「七福の教え」より一部引用)

2025年8月3日日曜日

2025年08月03日 第一主日礼拝 自由の子

招詞
 神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌います。私の心の底も。 琴よ、立琴よ、目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。主よ、私は諸国の民の間で、あなたに感謝し、もろもろの国民の間で、あなたをほめ歌います。                      詩篇108篇1~3節

聖書箇所
ガラテヤ書4章21~31節

説教
自由の子 田口勇新牧師



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言(こと)ローグ/602 普段着の福音

  まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。                   申命記30章14節

 福音書は、イエスさまの言行録です。福音書を読むとき、特に奇跡のエピソードに触れると、わたしたちの目はどうしても詳細な出来事に引きつけられてしまい、物語全体を見逃してしまいがちです。しかし、奇跡は決して物語の中心ではありません。
 奇跡が物語の中に置かれている理由は、物語全体のメッセージを支え、主張するためです。実は、新約聖書が書かれているギリシア語では、「奇跡」ではなく「しるし・わざ」という意味の言葉が使われています。
 特に、ヨハネの福音書は、次のように、しるし・わざの意味を読者に解説している優しい言行録です。文中、「~のために」が目印です。

 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらは この書には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
                                 ヨハネ福音書 20:30~31

 福音書や、使徒の働きなどのしるしなど歴史的なできごとを読む時、「このしるしはどのような目的で語られているのか?」「この出来事を通して、福音書記者は何を私に伝えようとしているのか?」などということを心に留めて、あなたに贈られるみことばをお受け取りください。