2025年9月28日日曜日

2025年09月28日 第4主日礼拝 私たちが帰るのを 待っておられる神

招詞
 すべての国々よ主をほめたたえよ。すべての民よ。主をめ歌え。 その恵みは私たちに大きく、主のまことはとこしえに。ハレルヤ。                   詩篇117篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書15章11〜24節

説教
 
私たちが帰るのを待っておられる神 内田和彦師D V D視聴

言(こと)ローグ/610 平安と信頼

 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。                  ヨハネの福音書14章27節

 人生には予期せぬ急降下や急カーブがあり、ジェットコースターのようだと思います。聖書は、不測の事態に陥ったとき、最善の策は神を信頼することだと教えます。
 預言者イザヤは、敵に侵略され騒然となった国で「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」(イザ26:3)と聖霊によって語り、神の約束を確認しました。
 神を信頼する時、人は理解を超えた平安を手にします(ピリ4:7)。私は乳がんと闘っていたある女性の言葉が忘れられません。教会の人たちとお見舞いに行って、いっしょに祈り終わると彼女は言いました。「この先どうなるかは分かりませんが、心配無いことは分かっています。だって、主イエスさまが今夜、私たちとともにここにおられるのですから。」
 人生に困難はつきものです。しかし、私たちをこよなく愛してくださる救い主は、どんな困難よりも大きなお方です。          (J.バンクス 「イエスはわたしの平安」から一部引用)

2025年9月21日日曜日

2025年09月21日 第3主日礼拝 立ち止まられたイエス

招詞
    私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。                詩篇116篇1~2節

聖書箇所
マルコの福音書5章25〜34節

説教
立ち止まられたイエス 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/609 信頼できるお方

 御名を知る者は あなたに拠り頼みます。                  詩篇9篇10節

 飢えた子猫だったミッキーを道端で見つけた夜からこの日まで、私は何かあるたびに看病をしてきました。ミッキーが目の病気になり、毎日、目薬をさしました。浴室の台に乗せると座っておびえた目で私を見つめ、ブシュッと飛び込む液体に身を堅くします。私は「いい子ね」とささやきます。病気や薬などということは理解できませんが、ミッキーは、飛び降りたり、威嚇したり、引っかいたりしません。むしろ、この試練を与えている私に寄りかかってくるのです。私を信頼できると知っているからです。それでミッキーは、私が信頼できる人だと学びました。理解できないことをされてもです。
 同じ様に、神の誠実さと品性を忘れないことは、何が起こっているのか理解できないときに、神を信頼する助けになります。私たちも人生の困難な時期にも神を信頼し続けることができますように。                       (K.フアン 「誠実な生き方)から一部引用)

2025年9月10日水曜日

2025年09月07日 第1主日礼拝 私たちを救うキリストの聖さ

招詞
    ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
                                  詩篇113篇1~3節

聖書箇所
マルコの福音書5章25~34節

説教
私たちを救うキリストの聖さ 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/607 よこしまな者(ベリアル)
 見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。                      ナホム書1章15節

 アッシリア帝国はかつて神の杖として、神の民(イスラエル北王国)を矯正するための道具として用いられました(BC722)が、自分の本分を越えて神に逆らったために、100年後には、新バビロニアとメディアに滅ぼされます(BC612)。この期間、南王国ユダはつかの間の平和を与えられたのでした。
 ナホム書では、よこしまな者(ベリアル)が1章11節と15節に2回使われています。単数形ですから、アッシリア王の名前センナケリブです。終末論的視点から見るならば、「べリアル」は確実に滅びる運命にあります。神はご自身の民であるイスラエルを立ち返らせるために、反キリストを用いられますが、最後にはこの反キリストおよび、その手下である偽預言者を滅ぼして、「硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込」みます(黙示録19:20)。今の世界を見ると、よこしまな指導者は各地に存在します。マスコミやネットに左右されず聖書の観点から時代を見る目を養う必要がありますね。
 このように、ナホム書1章は、そのまま「終わりの日」における出来事の予型となっています。それゆえこの章は、主に身を避ける私たちにとっては力強い希望と慰めを与える予型の書と言えるのです。                           (銘形「ベリアル」から一部引用)

2025年9月9日火曜日

2025年08月31日 第五主日礼拝 主の弟ヤコブ/ペテロの否認とイエス

招詞
    しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。 彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。             詩篇112篇5~6節

聖書箇所
第1礼拝 ガラテヤ書2章8~10節
第2礼拝 ルカの福音書22章31~34節、54~62節

説教
第1礼拝 主の弟ヤコブ 田口勇新牧師(DVD)
第2礼拝 ペテロの否認とイエス 永井創世K G K 主事

言(こと)ローグ/606 全ての言語で

 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、 ほかの国々の言葉で話しだした。 
                                   使徒の働き2章4節

 アテネ中心部のある教会で、神の愛が母国の人々に届くように、仏語、独語、スロバキア語、ギリシャ語、英語など、さまざまな言語で祈りがささげられました。ペンテコステ当日だったこともあり感動はひとしおでした。
 ペンテコステ(五旬節)は、過越祭の50日後に祝われる収穫祭です(レビ23:15-21)。イエスが帰天後初の五旬節、主を信じる人たちはエルサレムに集まっていました。すると突然「激しい風」のような音が聞こえ、「炎のような舌」が現れ、人々は聖霊で満たされ、「“霊"が語らせるままに」外国語で話しました(使2:2-4)。エルサレムを訪れていた外国人は、自分たちの言語で「神の偉大な業」について聞きました(11節)。その後、ペトロが声を張り上げ(14節)、イエスが十字架で死に、復活されたのは、私たちが赦(ゆる)されるためだったと語り、多くの人々は、イエスの救いを信じました(22-41節)。
最初のペンテコステに集った人たちのように、私たちも神の愛を伝える力を聖霊に頂けるように祈りましょう。世界中のあらゆる言語で福音が語られるようにも祈りましょう。
                       (L.サムラ 「すべての言語で」から一部引用)