招詞
主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
詩篇57篇9~10節
聖書箇所
主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
詩篇57篇9~10節
聖書箇所
ヨハネの福音書20章24~31節
説教言(こと)ローグ/236 霊的スランプ
鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
詩篇42篇1~2節
詩篇43篇、103篇などと並んで、この節は、神さまへの呼びかけです。そこでは、困難の時には、絶望している自分に、また、順境の時には、豊かな恵みを注いでくだった神を決して忘れることがないようにと、自分に語りかけます。なぜ霊的なスランプに陥るのでしょうか。それは、私たちが神の恵みに慣れてしまって、恵みが当たり前のように思ってしまうからです。あるいは、自分が自分に対して自分の思い(つぶやき)をそのままに語らせているのを許してしまうからです。霊的なスランプに陥ったときの対処法は、
① 意気消沈させている内なる自分に対して、また恵みに慣れてしまっている自分に対して、はっきりと対決し、叱責し、訓戒し、問いかけることです。
そして、
② 神はどんな方であり、また何をすると約束してくださったかを、意識的に、 はっきりと自分自身に対して思い起こさせること、です。
信仰は、イエスさまの十字架と復活の事実に基づいています。自分の罪を認めた時、イエスを信じて救われました。これも事実です。神さまは、いつでも、今でも、霊的に落ち込んでいる私たちが、御前にでることを望んでおられます。一歩進み出て、「イエスさま」と呼びかけましょう。また、治療より予防が効果を発揮するのは霊的な世界でも同じです。ダビデのように、毎朝、神さまへの呼びかけをしましょう。 (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)