2018年6月3日日曜日

2018年06月03日 第1主日礼拝 新しい人と怒り

招詞
私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。                   詩篇61篇2節


聖書箇所
エペソ人への手紙4章17~28節

説教
新しい人と怒り 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/239 霊的な味覚

 【主】の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、【主】の仰せはきよくて、人の目を明るくする。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
                                  詩篇 19篇 8、10節

 詩篇を読む時、霊的な味覚に対する好奇心が必要です。
 私たちが毎日口にする食事は、五感のすべてを使って味わっています。目で味わい、耳で味わい、鼻で味わい、手や舌の感覚で味合う、これらのすべての感覚をフル動員して食べています。グルメとは、脳のあらゆる感覚器官が研ぎ澄まされた人のことだと言えます。
 ところで、詩篇の瞑想は、ただ与えられて食べる側よりも、料理を作る側に近いかもしれません。それは歌われた一つ一つの詩という素材から味の感動を引きだすからです。まず自分が作っておいしいと思うことが大切です。では、料理にとって一番大切なものはなんだろうか。それは舌、つまり、味覚です。視覚も臭覚も、料理にとっては大事なことですが、まずは味覚が第一条件です。味覚は生まれ育った環境にも影響されますが、経験によって鍛えられ、磨かれます。
 ダビデは、「主の戒めは、蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い」と、言いきりました。彼は、もっと神とのすばらしい交わりの世界を味わいたい、堪能したいという旺盛な好奇心をもっていました。
 詩篇から、自分の霊の舌で、新しい味覚をどんどん自分の中にすり込む経験をしてみませんか。        
                     (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より一部引用)