2026年4月26日日曜日

2026年04月26日 第四主日礼拝 まことに主はこの場所におられる 

招詞
 主よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。よい分別と知識を私に教えてください。私はあなたの仰せを信じていますから。  詩篇119篇65~66節

聖書箇所
創世記28章10~22節

説教
まことに主はこの場所におられる 永井創世KGK東北主事

言(こと)ローグ/639 謙遜① 被造物の栄光

 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」                       (黙示録4:10〜11)

 神が宇宙を創造なさったとき、被造物を神の完全性と祝福にあずかる者とし、そうして宇宙のなかに神の愛と知恵と力との栄光をあらわすという一つの目的がありました。神は造られた者たちの内に、また造られた者たちを通して、おのおのが受けられる器の大きさに応じて神ご自身の良きご性質と栄光を転移することによって、ご自身をあらわすことを願われました。
 けれども、この転移は、被造物が自分自身の内に所有できるものを与えることではありません。被造物の側で自由に管理したり使ったりできるような種類のいのちと良き性質を与えることではありません。そうではなく、神が永遠に生きておられ、永遠に存在され、永遠に働いておられる方であって、その方がすべてのものをご自分の力あるみことばによって保ち、その方の内にすべてのものが存在しているのですから、被造物の神に対する関係は、絶えざる、絶対的な、普遍的な依存という関係しかあり得ないのです。次回から栄光の転移について詳しく学びましょう。
                          (アンドリューマーレー「謙遜」より)

2026年4月19日日曜日

2026年04月19日 第三主日礼拝 サタンに打ち勝つキリスト

招詞
 私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。  
                                                                                                                     詩篇119篇18~19節

聖書箇所
マルコの福音書5章1~20節

説教
サタンに打ち勝つキリスト 菅孝雄牧師補
https://youtu.be/Flo7z8P-AFg

2026年4月12日日曜日

2026年04月12日 第二主日礼拝 

招詞

 私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのみことばを忘れません。 あなたのしもべに豊かに報い、私を生かし、私があなたのみことばを守るようにしてください。  詩篇119篇16~17節

聖書箇所
使徒の働き1章3~14節

説教
イエスの昇天 田口勇新牧師


音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/638 雲(ネフェレー): 神の栄光の現われ

 そして、(イエスは、)祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。
                                ルカの福音書 24章51節

 同じ昇天の記事が、使徒の働き1:9では、「雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。」とあります。ここにある「雲:ネフェレー」は、神の栄光の現われです。
旧約時代では、モーセがシナイの山頂において雲の中で律法を与えられています。荒野における幕屋における主の臨在は雲によって現われました。ソロモンが神殿を奉献したときにも、やはり雲が現われ、祭司たちはその臨在に圧倒されて立っていることができませんでした。雲は神の臨在のしるしです。
新約では、イエスの変貌の時に雲がわき起こり、弟子たちをおおいました。するとその雲の中から、「これはわたしの選んだ子、彼の言うことを聞け。」という声がしました(ルカ 9:34~35)。復活された神の子であるイエスは雲の中に包まれて昇天されたことによってその栄光を現わされました。そして同様に、イエスが再びこの地上に戻って来られる時にも、雲に乗って来ることが約束されているのです(使徒1:11、マタイ24:30, 26:64、黙示14:16)。見えないものも見たいのが私たちです。主のご栄光を可視化して見せて下さる神の粋なお取り計らいに感謝ですね。
                               (銘形 「雲」から一部引用)

2026年4月5日日曜日

2026年04月05日  イースター・召天者祈念礼拝 イエスの復活

招詞
 主よ、あなたはほむべき方。・・・ 私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。         詩篇119篇12、18節

聖書箇所
ルカの福音書24章1~12節

説教
イエスの復活 田口勇新牧師


音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/637 信じ難いこと:十字架か復活か

 パウロは、最高法院の議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」 パウロがこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。 サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、いずれも認めているからである。 使徒の働き 23章6~8節

 イエスの時代、ユダヤ人最高法院(サンヘドリン)は、祭司長たちのいるサドカイ派と律法を教えるパリサイ派から構成されていて、復活は両派の論争の火種になっていました。現世の権威にしがみつくサドカイ派は、復活も天国も信じなかった不信仰者でした。パリサイ派のユダヤ人は、反対にどちらも信じていましたが、メシア=キリストが恥辱の十字架刑になるはずが無いと主張し躓きました。あなたにとってどちらが信じ難いでしょうか。身代わりに死んでくださったイエスの十字架ですか? あるいはイエスの復活ですか?