2026年5月24日日曜日

2026年05月24日 聖霊降臨日礼拝 ペンテコステと私

招詞
 主よ。どうか、私の心からの賛美を受け入れ、御教えを教えてください。あなたの御教えは、永遠に私の宝です。                   詩篇119篇108、111節 現代訳

聖書箇所
使徒の働き2章32~4節

説教
ペンテコステと私 田口勇新牧師

音声のみはこちら:

言(こと)ローグ/643 謙遜 ⑤ 被造物の栄光

 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。               エペソ人への手紙4章2~3節

 神が宇宙を創造なさったとき、被造物を神の完全性と祝福にあずかる者とし、そうして宇宙のなかに神の愛と知恵と力との栄光をあらわすをあらわすという目的がありました。
 最後に造られた人間について考えましょう。その目的は、神が造られた者たちの内に、また造られた者たちを通して、おのおのが受けられる器の大きさに応じて、神ご自身の良きご性質と栄光を転移(トランスファー)することによって、ご自身をあらわすことでした。
 したがって、この転移は、被造物が自分自身の内に所有できるものを与えることではありません。被造物の側で自由に管理したり使ったりできるような種類のいのちと良き性質を与えることではありません。そうではなく、神が永遠に生きておられ、永遠に存在され、永遠に働いておられる方であって、神がすべてのものをご自分の力あるみことばによって保ち、神の内にすべてのものが存在しているのですから、被造物の神に対する関係は、絶えざる、絶対的な、普遍的な依存という関係しかあり得ないのです。
        (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「謙遜という心の場所」について )

2026年5月17日日曜日

2026年05月17日 第三主日礼拝 起き上がらせて下さるキリスト

招詞
 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。      主よ。みことばのとおりに私を生かしてください。                     詩篇119篇105、107b節 

聖書箇所
マルコの福音書5章21~24、35~43節

説教
起き上がらせて下さるキリスト 菅孝雄牧師補
説教動画

言(こと)ローグ/642 謙遜④ 恵みが根を張る土壌

  あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。                   マルコの福音書10章43~45節 
     
 弟子たちへのイエスのこの言葉は、私たちに対しても真実です。私たちが、皆に仕える者になっている時、私たち自身がイエスの恵みが根を張る土壌となっています。イエスは、すべての人に仕え、助ける者となることほど天的な神のご性質を現すものはほかにないという、祝福された真理を教えてくださったのです。 忠実なしもべは自分の分をわきまえているので、主人や客の欲するものを給仕することに本当の喜びを見出します。謙遜が罪の意識と比較にならないほど無限に深いものであると知り、またイエスのいのちに参与することであるという事実を受け入れるとき、謙遜こそが本当の高潔さであるという真理を私たちは学び始めるでしょう。また、すべての人のしもべとなることによって謙遜をはっきり示すことは、神のかたちに造られた人間としての私たちの運命を最も高い次元で実現するということもわかるでしょう。 
          (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「被造物の栄光」について) 

2026年5月10日日曜日

2026年05月10日 第二主日礼拝 目を覚まして祈りなさい

招詞
  あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。                          詩篇119篇103~104節

聖書箇所
ローマ人への手紙13章11節
コリント人への手紙15章34節
エペソ人への手紙6章18節

説教
目を覚まして祈りなさい 松本章宏牧師

言(こと)ローグ/641 謙遜③ 高ぶりは謙遜の欠如から
 
 ですから、高ぶり、すなわちこの謙遜の欠如はあらゆる罪と悪の根です。現在の堕落天使が不従順に陥って天の光から外の闇へと追放されたのは、独りよがりな自己賞賛を始めたときでした。それと同じように、へびが私たちの最初の先祖に神のようになりたいと願う高ぶりの毒をささやきかけたとき、彼らも高い地位から現在の人類が沈んでいる悲惨さへと落ちました。天においても地においても、高ぶり、すなわち自分を高めることは、地獄の門であり、地獄の誕生であり、地獄の呪いです。
 したがって、私たちの贖いとは、失われた謙遜を回復すること、被造物の神に対する本来的なただ一つの真実な関係を回復すること以外の何ものでもありません。ですからイエスが来られた目的は、地上に謙遜を取り戻すため、私たちを謙遜にあずからせるため、それによって私たちを救うためです。     (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は「恵みが根を張る土壌」について)

2026年5月3日日曜日

2026年05月03日 第一主日礼拝 家に帰らせてくださるキリスト

招詞
 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。 あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。                              詩篇119篇72~73節

聖書箇所
マルコの福音書5章14~20節

説教
家に帰らせてくださるキリスト 菅 孝雄牧師補
https://youtu.be/rypqlum1xgY

言(こと)ローグ/640 謙遜② 自身を空の器として捧げること

 神が御力によってひとたび創造したことが真実であるのと同じように、神は瞬間ごとに同じ御力によって被造物を保っておられることも真実です。被造物は存在の起源とはじまりに立ち返らなければならないだけでなく、その起源においていっさいを神をよりどころとしていることを認めなければなりません。すなわち、被造物の主要な関心、その最も崇高な徳、その唯一の幸福は、今から永遠にわたって、それ自身を空の器として捧げることです。神がそのなかに住まい、御力と良きご性質をあらわすことができるからです。
 神の付与するいのちは一度にすべての者に分配されたのではなく、全能の御力の絶えざる働きかけによって、そのつど、持続的に与えられています。神にまったくより頼む謙遜という場所は、被造物の本来的な性質に由来します。それは、第一の義務であり、被造物の最も崇高な徳であり、すべての徳の根です。     (アンドリューマーレー「謙遜」より。次回は謙遜の欠如について)