2022年5月22日日曜日

2022年05月22日 第4主日礼拝 350年後のミツライム

招詞
 義の門よ 私のために開け。私はそこから入り主に感謝しよう。家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
                             詩篇118篇19、22、24節

聖書箇所
出エジプト記1章1節~22節

説教
350年後のミツライム 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/440 ヘブル人

 それで、王(ファラオ)は、エジプト全国民に、「以後、ヘブル人の子は、女の子だけを残して、男の子はみなナイル川に投げ込め」と命じたのです。      出エジプト記1章22節

「ヘブル人」と「イスラエルの民」という呼び方について、エジプト人との対応の場面ではヘブル人と呼び、自分たちの身内同士で呼ぶときはイスラエルの民と、両方の呼び方が使い分けられている、という指摘があります。しかし、旧約全体では33カ所でヘブル人と書かれており、申命記15:12では自国民の中でもヘブル人という表現を使っています。まとめると、エジプトに限らず、イスラエル民族が自身のことを外国人に話すときに使われるか、または外国人がイスラエル民族について話す時に使われています。
以下は、典型的な、二つの用例です。1サムエル14:11ではペリシテ人が上から目線でヨナタンと僕をヘブル人と呼んでいます。これに対して、ヨナは、船に乗り合わせた不特定の異邦人に「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主を恐れています(ヨナ1:9)」、と堂々と自己紹介しています。イスラエルは「主は勝利」の意味ですが、ヘブルの語源ははっきりしません。メソポタミヤからカナンに渡って来たので、「渡り者(イブリー)」からきたという説も有力です。主の声に従い、偶像と罪に満ちたメソポタミヤを去り、カナンに渡って来たアブラハム夫妻でした。私たちも、偶像や、罪の習慣を去り、イエスを信じる教会の交わりに「渡って来た者たち」ですね。この祝福の道は、主と共に前に向かってのみ進む道です。感謝しましょう。