2015年7月19日日曜日

2015年7月19日 第3主日礼拝 幸いな人と哀れな人

招詞
ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
詩篇136篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書 6章20~26節

説教
幸いな人と哀れな人 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ17/幸いと哀れ
「幸い」はマカリオスです。神に祝福されているものという意味です。「哀れ」と訳されているウーアイは、名詞ではなく感嘆詞で、「ああ哀れな」というイエスの嘆きのため息で、新約聖書中46回も使われています。
「ああ、忌まわしいことだ、悲惨だ、呪われる、気の毒だ」という意味合いです。主を信じないで心を閉ざす者たちへのため息です。財を蓄える、食べる、笑う、褒められることは、この世界では良いことで、そのために学校へ行くのだという人が多いでしょう。しかし、その前に、「ゆるし」と「いのち」をイエス様からいただいているかが問題です。この世を去る時に、死の向こうに持っていけるものは、「ゆるし」と「いのち」だけです。ルカ6章20節以下の平地の説教では、マカリオスの中身は、貧しいもの、飢えている者、イエスの名のために迫害されている者たちです。すべて、イエス様を信じた時にどんでん返しになって、幸いになるのです。この幸いは、天国に持っていけるものです。イエスに「あーあ」と失望のため息をつかれないようにしましょう。