2015年9月13日日曜日

2015年9月13日 第2主日礼拝 多くの罪が赦された人

招詞
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
ヨハネの手紙第一 1章9節


聖書箇所
ルカの福音書 7章36-50節

説教
多くの罪が赦された人 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ25/「赦されたことが先」
「赦されたこと」は、先か結果か、 ルカの福音書7:47の口語訳は、「それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。」で、彼女のイエスへの献身的な奉仕が、罪の赦しの原因のように訳されています。後続の新共同訳は、大きく変わり、「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。」と、 イエスに罪を赦された結果、彼女の自発的な行為がある、と180度も異なる訳です。新改訳は、「だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。」とやはり、 口語訳に近いでしょう。この箇所に限って、どちらが原文の意図をより汲んでいるかは、「赦されています」というギリシャ語の時制を調べると明らかです。ここでの「赦されています」は、現在完了形受動態です。ギリシャ語の時制はきわめて厳格な意味で使われていますから、彼女は、まず赦されていた、そしてこの場面でも赦しが確かな事実であった、と解釈されます。従って、 新共同訳の方がより良い訳になっていると思います。彼女は、罪深い女というレッテルを貼られていて、この食事の席に入ってくることは不可能だったはずです。罪を赦されている者、それを確信している者としての大胆な行動だったのです。
   (銘形: 「主への愛の行為は、赦されていることの証拠です」から一部引用)