2015年9月6日日曜日

2015年9月6日 第1主日礼拝 イエスは救い主

招詞
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイの福音書 16章15~16節

聖書箇所
ルカの福音書7章18-35節

説教
イエスは救い主 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ24/つまずく
ルカの福音書7:18~35は大きく二つに分かれます。ひとつはヨハネの二人の弟子たちに語られたこと、もうひとつは群衆に語られたことです。しかしその中で扱われているテーマは同じです。そのテーマとは「つまずき」です。

「つまずき」という名詞はギリシャ語では「スカンダリオン」ですが、この箇所では名詞は使われず、動詞の「スカンダリゾー」が23節の「わたしにつまずかない者は幸いです。」というイエスのことばの中で使われています。

 「オヤ」と思われた方、その通り、スカンダリオンは、英語のスキャンダルの語源です。英語の意味は、醜聞(しゅうぶん)ですが、もともとの意味は、「罠の餌づけ棒」でした。動物が、安心して食べると罠にはまってしまう仕掛けです。スキャンダルは、何気なく人のうわさを流しているように思っていると、相手と周りを傷つけ、やがて本人にも付けが回ってきて、人間関係を壊す、恐ろしい罠です。  

話を戻します。イエスの言動から、神の子メシアであることは明らかなはずでしたが、純粋なヨハネの弟子たちには、もっと早くメシアの国を立ち上げて欲しいと誤解したのでしょうか、「イエスは本当にメシアなのか?」という疑いを抱かせました。パリサイ派と他の宗教指導者たちは、言い伝えやしきたりよりも聖書に帰れ、と正論を突きつけられ、数知れない奇跡の御業で民衆の支持を奪われたと錯覚して、妬みからイエスを排斥する、ついには殺意をもたせるほど「つまずかせられ」ました。

私たちが初めて教会の門をたたいた時、初めて福音書を読んだ時、イエスは救い主メシアであるということばに「つまづかなかった」でしょうか?「つまづき」は、信仰の世界においては、イエスとかかわる者たちが、「イエスとはいったいだれであるか」を問われる試金石そのものなのです。

(銘形:「わたしにつまずかない者は幸いです」から引用)