2016年2月7日日曜日

2016年02月07日 第1主日礼拝 不信仰な今の世

招詞
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節

聖書箇所
ルカの福音書 9章37節~48節

説教
不信仰な今の世 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ45/「耳の中にことばを納める」
「このことばをしっかりと耳に入れておきなさい」(ルカ9章44節前半)は、原文では、「これらのことばを耳の中に納めなさい」です。
50年前の口語訳は、「耳におさめて置きなさい」ですから逐語訳です。意図するところは、「注意深く聞きなさい」です。
かわいそうな「ひとり息子」が悪霊にとり憑かれて、弟子たちが父親に頼まれましたが、悪霊を追い出すことができませんでした。それで、イエスが悪霊を叱りつけて、追い出し、いやされた息子を父親に返されたときのイエスことばでした。人々は神の威光に驚嘆し、唖然となっていましたが、イエスは、ため息をつかれたあとで、このことばを語られました。

あるとき、イエス自分の弟子たちにこう言いました。このことばも、原文は、複数形ですから、最近話した大事なこと、つまり、イエスがいよいよ十字架の道に向かうことを話した 内容をよく噛みしめて忘れないようにしなさい、と言われたわけです。なぜこのように念をおされたのでしょうか?

それは、イエスの十字架のことばは、弟子たちの心に、明瞭でリアルには入らなかったからではないかと思われます。まるで、おおいがかかっているように、はっきりと理解し、感じることができなかったのです。
弟子たちだけを責めることはできません。私たちも、聖書に書かれてあることで、知ってはいても明瞭でリアルな理解に及ばないことは沢山あります。「罪のあがない」、「キリストの再臨」などなどです。
パウロは、信じないユダヤ人の心には、おおいがかけられていると言っています((2コリ3:15)。しかし、「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」(同16節)とも言っています。主に心を向けることで、神さまはおおいをとりのぞき、明瞭でリアルな信仰の世界へ招いてくださいます。
心を主に向けて歩きましょう。
(ルカ書注解:黒崎幸吉より一部引用)