2016年3月13日日曜日

2016年03月13日 第2主日礼拝 マリアの選択

招詞
私はいつも、私の前に【主】を置いた。【主】が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。              詩篇 16篇8~9節
                    
聖書箇所
ルカの福音書 10章38~42節

説教
マリアの選択 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ50/「姉妹(アデルフェー)」
「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。」(ルカ10:39)マルタとマリヤ姉妹の有名なエピソードが、今朝のテキストでした。この妹と訳されているアデルフェーは、「姉妹」の意味で、姉か妹かという区別はありません。年上の姉妹なら姉、年下なら妹ですが、それだけでは、姉、妹と訳すのは無理があります。なぜ、マリヤを妹と訳したかは実は謎です。新共同訳は、「姉妹」です。英語訳などは全て「a sister(姉妹の単数形)」と訳していますが、新改訳では、アデルフェーは40節でも2回、マリヤのことをさして「妹」と訳されています。もし、ここを、マルタが妹、マリヤが姉と訳すとしたら、それも同じ確率で可能です。おもてなしが得意の妹マルタと、マルタを手伝わず、イエスのことばを一言も漏らすまいと聞く姉らしからぬマリヤです。マルタ妹が、「お姉さんはちっとも姉の役割を果たしていません。叱ってやってください、イエスさま」という話になります。そうだとしても、イエスさまの結論は同じです。「マルタ妹よ。マリヤ姉は、神のことばを聞きたくて、ここに座ったのだから邪魔してはいけない。あなたもここにきてお姉さんの隣で聴きなさい」ということでした。忙しい私たちも、「あなたも忙しくしていないで、座って私のことばを聞きなさい」とイエスさまのことばを聞くことがあるでしょうか?