2017年2月12日日曜日

2017年02月12日 第2主日礼拝 神のものは神に

招詞
正しい神は、心と思いを調べられます。私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。
詩篇 7篇9~10節

聖書箇所
ルカの福音書 20章20~26節

説教
神のものは神に 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ97/デナリと王の権威
「納め金にするお金をわたしに見せなさい。」 そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。 そこで彼らに言われた。
 「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」 彼らは、「カイザルのです」と言った。
 マタイの福音書 22章19~21節
古代世界においては、王位のしるしは貨幣の発行にありました。王たちは、即位するとすぐに新貨幣を発行しました。そこには、肖像と銘が刻まれました。さらに、貨幣を発行する権利を得れば、それにともない国民に一人いくらという人頭税を課税する権利も得られたことになり、あまねく認められていました。上記、デナリ1枚は、当時の労働者の日当にあたり、ローマ皇帝(カエザル)は、これを一年の一人当たりの税としました。さて、イエス様の言い分はこうです。「あなたがたがカイザルの貨幣を受け入れて、それを日常用いているなら、当然カイザルの課税の権利も受け入れざるを得ないだろう」と。「しかし」とイエスは続けました。「カイザルの令状が及ばない領域、完全に神に属する領域もあるのだよ」と。このように、イエス様は、この間者(かんじゃ)側の根拠そのものに鋭いメスを入れました。
マタイ22:22で、「彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。」とあります。イエス様は、上手に言い逃れをなさったのではなく、罠の根拠そのものにメスを入れられたことに気づいた結果だったのではないでしょうか? 現代の私たちも、自国のお金を使い、便利を享受していますから、納税責任があり、国の権威に縛られます。でも、国の法律の及ばない領域もあること、神さまにだけ服従する領域ももっていることを自覚し、改めて神さまに感謝しましょう。                         (バークレー「ルカの福音書」より引用)