2017年7月16日日曜日

2017年07月16日 第3主日礼拝 救いの証(しるし)

招詞
すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。 まことに、いと高き方【主】は、恐れられる方。全地の大いなる王。                   詩篇47篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙 1章11~14節

説教
救いの証 (しるし) 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ119/ああ、なにゆえ(エハー)
ああ、人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている。        哀歌1章1節

 「哀歌」は「エレミヤの哀歌」とよばれて旧約聖書の中で一番読まれていない書のひとつかもしれません。「哀歌」のヘブル語の原題は最初に登場する語彙「ああ、なにゆえ」と訳される「エーハー」です。新改訳聖書は「ああ」だけです。 旧約聖書のギリシャ語訳である七十人訳には、タイトルが「エレミヤ哀歌」となっており、「まえがき」として次のような説明が記されています。
 「イスラエルが捕囚に導かれ、エルサレムが荒廃した後、エレミヤは座して泣き、この哀歌をもってエルサレムのために哀悼した。」と。「哀歌」は文字通り「悲しみの書」です。なにゆえにこの悲惨な出来事が起こったのかが「哀歌」の内容です。それは、40人の分裂王国時代の神さまへの背信の罪の結果でした。しかし、預言者エレミヤの語ることばに、指導者や民たちが耳を傾けなかったことです。エレミヤはこんな霊的な暗黒の中にある同胞にもあきらめずに呼びかけました。哀歌3:40~41には、「私たちの道を尋ね調べて、【主】のみもとに立ち返ろう。私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」と語りかけています。この言葉は、霊的に弱っているかもしれない私たちにも新鮮なことばですね。     (銘形 「哀歌の黙想」より引用)