2018年2月4日日曜日

2018年02月04日 第1主日礼拝 ひざをかがめて祈る

招詞
主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。                        詩篇105篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙3章14~15節
第2歴代誌7章3節

説教
ひざをかがめて祈る  田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/224 パンとぶどう酒(アルトスとクラシ) 

「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」                ルカの福音書22章19~20節

 毎月の聖餐式で、パンとブドウ液をいただきます。イエスさまが、使徒たちと教会に命じられた2つのことの一つが聖餐で、あと一つは洗礼でした。洗礼は一回だけですが、聖餐式は、イエスさまの再臨までずっと定期的に続けなさい、と言われました。 
 カトリック教会では、パンとぶどう酒が、文字通りキリストの体と血に変わると教えます。これを化体説(けたいせつ)と言います。改革者ツヴィングリは、これとは真逆で、単純にシンボルとしてパンとぶどう酒を受け取ると教えました。
 けれども、ルター以来、ルーテル教会では、聖餐におけるパンとぶどう液(酒)は、上記イエスの言葉通り、キリストの体と血を表すと教えます。以下、神秘的な言い方ですが、「パンとぶどう酒は、やはりパンとぶどう酒であるが、聖餐式で読まれるみ言葉に従う時、パンを食べ、ぶどう液(酒)を飲むことにより、イエスのからだと血をいただくのである」と信じています。 
 初代教会での聖餐は、礼拝の一部であり、感謝、喜び、信仰によって特徴づけられていました。そこでは、信仰の自己吟味と悔い改めは、心を刺すような重苦しいものではなく、赦しと永遠の命の約束が唱えられ、神からの贈り物、イエスに対する心からの感謝と賛美が中心でした。そこには勝利と喜びがありました。私たちも、心からの感謝と喜びをもって聖餐をいただきましょう。
                    (C.F.ヴィスロフ「キリスト教教理入門」から引用)