2018年2月11日日曜日

2018年02月11日 第2主日礼拝 とりなしの祈り

招詞
ハレルヤ。【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。 だれが【主】の大能のわざを告げ、主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。 
                                 詩篇106篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙3章16~19節

説教
とりなしの祈り  田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/225 詩篇の並行法(パラレリズム)① 
 まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。  詩篇1篇2節

   R・ロウスは、『ヘブル語の聖書の詩についての講義』で、詩篇は、音声と文体が比較的穏やかに結びついて感性を表現している書である、と言いました。この並行法(パラレリズム)と呼ばれる手法は、行ごとの思想内容の対応により、思想は繰り返されることもあるし前進することもあります。また比喩的でもあるし、逆転的でもあります。今回は、①繰り返される思想について述べます。
 実は、上記2節も一行目と2行目が、同じ意味の事柄を異なる言葉で繰り返えしています。これが、同義並行法です。次の、5節はどうでしょうか?

それゆえ、悪者はもさばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 (1:5)
 
 やはり、意味が似ていることばで繰り返されていますね。2章4節はどうでしょうか?

天の御座は着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。 (2:4)
 
天のみ座は、神、主のおられる所です。笑うとあざけるは同じ意味です。原語のヘブライ語では韻を踏むので、さらに印象的で、また暗記しやすいのです。詩篇の朗読は朗誦となり歌です。
 しかし、翻訳であっても、並行法は、私たち読む者の心に聖書のみことばの真理を鮮明に刻み込むために有効な表現法です。ゆっくり読み、繰り返し読み、詩篇を味わって読みましょう。
                         (鍋谷尭爾著『詩篇を味わう』より引用)