2018年11月18日日曜日

2018年11月18日 第3主日礼拝 主にあって強く③ 正義の胸あて

招詞
【主】に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。     詩篇92篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章11~15節

説教
主にあって強く③ 正義の胸あて 田口勇新牧師

言(こと)ローグ/261 弱さと謙遜③ 神の物乞い
 私には、自分のしていることがわかりません。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。          ローマ人への手紙7章18~19節

 これは、パウロが2000年前にローマの教会にあてた手紙に書いた謙遜のことばです。500年前、マルチン・ルターは、当時のローマ・カトリック教会の脅迫に屈せず、命がけで「宗教改革=聖書の教えに帰る運動」を断行した人ですが、それだけではなく、彼は、旧新約聖書の全巻をヘブル語、ギリシャ語の原典から母国語のドイツ語に翻訳した学者でもありました。
 歴史にその名をとどめ、偉大なこと成し遂げた人物ですですが、そのルターが臨終に際して残したことばがあります。当時の公文書はラテン語でしたが、彼の書いた沢山の文書の中に、「私は神の物乞いです」と、そこだけドイツ語で書いたそうです。
 ルターは、「自分には、これが私の義です、とか、私の正しさですなどと言えるものは何もない。すべては神の憐みによって頂いたものだ」ということを死に臨んでもう一度、確認し、告白したわけです。ルターもパウロのようにまさに謙遜の限りを尽くして主に仕えた人だったのです。私たちも子どものように神の前に出て、自分の弱さと不足を告白しましょう。
                           (銘形「謙遜への招き」を一部引用)