2019年4月14日日曜日

2019年04月14日 第2主日礼拝 信じた男

招詞
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行っ た。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼(キリスト)に負わせた。           イザヤ 書53章6節

聖書箇所
ルカの福音書23章32~43節

説教
信じた男 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/283 わたしは渇く(ディプソー)

 「イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が
     成就するために、『わたしは渇く。』」と言われた。 ヨハネの福音書19章28節 
 
 「渇き(ディプソー)」は、私たちが生きていくために必要ものが欠乏するときに感じるものです。お腹がすくことも、なにか欲しいものがあることも、人との触 れ合いがほしいことも、対話者がほしいと思うときも、だれかにほめてもらいた いときにも、その背景には満たされていない「渇き」があります。
 イエスの場合、「食物」とは、「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げること」でした(ヨハネ4:34)。そして、もう間もなく御父のみこころを、自らの死を通して完了するのを目前にしながら言ったことばが、「わたしは渇く」だったのです。つまり、イエスの強烈な渇きは「御父のみこころを完全になし遂げたい」という使命遂行の決意のことばなのです。
 受難週にイエスが私の罪のためになさった愛の御業を思い、感謝しましょう。
                           (銘形「十字架のイエス」より引用)