2020年5月17日日曜日

2020年05月17日 第3主日礼拝 エゼキエルの召命②

招詞
全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊。 
                                  詩篇100篇1~3節

聖書箇所
エゼキエル書3章4~27節

説教
エゼキエルの召命② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/336 湧き水と水ため

 わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めめを、自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、こわれた水溜めを。 エレミヤ2章13節

 エゼキエルに先行してバビロン捕囚までの最も厳しい時期に主の預言者として奉仕したのがエレミヤです。上記、同書2章13節は、彼の第一声でした。
 イスラエルが、神に対して犯した「二つの悪」とは、湧き水である真の神を捨て、水を溜めることのできない、こわれた水溜めを掘ったことでした。水溜めを掘るというのは、異教の軍事勢力と手を結んでその場しのぎをしたついでに、偶像を慕っていった行為です。これは、だれが見ても愚行というほかありません。王も、祭司たちも、当時の預言者たちでさえ主の愛から離れ、虚しい偶像や偶像を取り囲む敵に取り込まれていったのでした。
 湧き水を捨て、溜め池を掘るという行いは愚かですが、現代では、溜め池は、神様を信じない思想(イデオロギー)であり、科学であり、経済であり、残念ながらその影響力は甚大です。
 私たちは、聖書と天地創造の神さまと御子イエスさまを信じ従うイデオロギーを持って生きていますが、世界は、過小評価しています。クリスチャンは、声は小さくても、不信仰のイデオロギーに棹(さお)さすものとなっていくべきですね。     (銘形「エレミヤ書」より一部引用)