2021年5月1日土曜日

2021年05月02日 第1主日礼拝 新しいエルサレム①

招詞
 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 
                                  詩篇121篇1~3節

聖書箇所
エゼキエル書40章39節~52節

説教
新しいエルサレム① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/386 手を開く(パータハ)
 国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。                                申命記15章11節

「手を開く(パータハ)」とは、自分の持てるものを持って、援助の手を差し伸ばさなければならないという意味です。このことを通して幸福な社会が実現するからです。へブル語の動詞 パータハが不定詞と未完了形で重複されています。そのことによって意味が強調されています。また、一過性でなく持続していかなければならないという大原理です。与える者にも祝福が帰ってきます。隣人に「手を開く」ということは、主から新たな祝福を受け取ることになるからです。そこで、上記のように、「必ず・・・手を開かなければならない」と訳されています。
エネルギー分野で「持続可能な開発目標(SDGs)」という言葉がクイズ番組でさえも紹介されていますが、信仰の世界でも申命記の記された3500年前に、すでに「あなたの手を開く」ことで持続可能な祝福を実現できると強く勧められています。ここには天の御国における祝福の循環があります。強いられてではなく、進んで手を開き、手を差し伸べましょう。 
                           (銘形:「申命記」から一部引用)