2022年10月1日土曜日

2022年10月02日 第1主日礼拝 マナ、奇蹟の食べ物

招詞
 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな                         詩篇37篇7節

聖書箇所
出エジプト記16章1~31

説教
マナ、奇蹟の食べ物 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/459 神に仕えるABC

 「神は仰せられた。「わたしがあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」                出エジプト記3章12節

 仕える(アーヴァド)は、英語では、worship(ワーシップ)で礼拝の意味です。旧約聖書中6268回も使われていて、旧約は文字通り「礼拝しなさい」だらけです。アーヴァドの名詞形は、ご推察の通りしもべ(エヴェド)です。
あの過ぎ越しの夜、罪赦され救われ、直後、奴隷状態のエジプトから脱出、解放され自由の身となったイスラエルは、荒野で神に仕えるABCを教えられていきます。天地創造の神、主を礼拝するABCを習っていく旅です。荒野には、誘惑する物質的なものはありません。満点の星の下、ただ主を見上げ、臨在を確認して進むのみでした。夜は炎の柱が、昼は雲の柱が先導してくれました。モーセとアロンと言う頼もしい道案内もいました。
人は、好ましいものが目に入るとそれに惹かれます。人が刻んだ偶像だけでなく、あらゆる見た目に良いもの、魅力的なものは偶像となり得ます。イエスさまは、「わたしにとどまりなさい(ヨハネ15:4)」と強く勧めました。救われた人は、夜も昼もご聖霊が私たちを導きます。ただし、荒野のイスラエルの場合と違ってご聖霊は目には見えません。イエスさまという頼もしいガイドがいますが、目には見えません。私たちは、荒野より快適な生活をしている反面、信仰の目でご聖霊を感じ、信仰の目でイエス様を見て主に仕え(アヴァド)なければなりません。イエスにとどまり、この生活に慣れましょう。
人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。  ヨハネの福音書15章5節