2025年10月19日日曜日

2025年10月19日 第3主日礼拝 立ち上がりなさい

招詞
    私に悟らせてください。私があなたのみおしえから目を離さず、心を尽くしてそれを守るために。私にあなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。
                                詩篇119篇34~35節

聖書箇所
使徒の働9章32~43節

説教
立ち上がりなさい 田口勇新牧師


言(こと)ローグ/613 ありえない?

 いつまでも主に信頼せよ。                       イザヤ書 26章4節

 ある冬の朝、ブラインドを開けて驚きました。霧の壁です。天気予報によると、それは「着氷性の霧」というものです。この地域ではまれですが、さらなる驚きは、1時間後には晴天という予報でした。私は夫に「あり得ない。一寸先も見えないのに」と言いました。しかし、1時間も経たないうちに霧は晴れ、晴天になりました。
 ユダ王国の善王ウジヤが亡くなり、腐敗した支配者たちが国の権力を握った時、預言者イザヤは似たような問いかけをしました。誰が信じられるのかと。しかし、神は驚くような幻でこの問いに応えられました。イザヤはその幻によって、神を信頼すれば、より良い未来が待っているので大丈夫だと確信できました。そして「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」(イザヤ26章3節)と述べ、「いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから」(4節)と賛美しました。
 自分の思考が神に集中しているなら、霧に包まれた混乱の中でも、神を信頼できます。今はっきりと見えなくても、神を信頼するなら、神の助けがやって来ると安心できます。先が見えず混迷しているとき、何を信頼しますか。どうやって目下の問題にとらわれず、永遠の神に心を向けますか。                        (P.レイボン「全幅の信頼)より一部引用)

2025年10月12日日曜日

2025年10月12日 第2主日礼拝 新しい創造と焼き印

招詞
    私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。 いつのときも、あなたのさばきを慕い求めて、私のたましいは押しつぶされるほどです。        詩篇119篇19~20節

聖書箇所
ガラテヤ書6章11~18節

説教
新しい創造と焼き印 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/612 幻(ハゾン)

 主は私に答えられた。「幻を石板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽っていない。 ・・・ 正しい人はその信仰によって生きる。」                    ハバクク書2章2―4節
                            *「ハゾン」は神からの使信の意味

 旧約聖書の終わりのところに短い預言書群があります。十二の小預言書で、ヘブライ語聖書では十二巻と呼ばれます。ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書の十二巻です。
 ヨナ書を除けば、あまりなじみのない巻ばかりですが、新約聖書に引用されているなど重要なメッセージが記されています。
 ハバクク書は、神への問いかけから始まる珍しい巻です。預言者ハバククは、ユダ王国における不正と暴虐、そして神の沈黙に対する疑問を神に投げかけます。そして、神の答えを通じて、ハバククは バビロンによる裁きが訪れること、そして「義人はその信仰によって生きる」という信仰の重要性を悟ります。この「義人は信仰によって生きる」ということばは、新約聖書、ローマ人への手紙1章17節にも引用され、信仰を通した救いを指し示しています。小預言書は福音のことばに満ちていて、ハバクク書もその一巻です。

 待降節の前の数週間、ハバクク書から礼拝メッセージをさせていただきます。

2025年10月5日日曜日

2025年10月05日 第1主日礼拝 キリスト者の自由③ 共に生きること

招詞
    幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。               詩篇119篇1~2節

聖書箇所
ガラテヤ人への手紙6章1~10節

説教
キリスト者の自由③ 共に生きること 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/611 真の平安

 人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。                        ピリピ人への手紙4章7節

 西オーストラリアのパースに、シャロームハウスという依存症患者の更生施設があります。入所者はクリスチャンスタッフに親身に寄り添われる中で神の平安と出会います。薬物、アルコール、ギャンブル依存などで人生をめちゃくちゃにしてしまった人たちが、イエスの十字架によって変えられます。自らの人生がイエスの復活によって再生されると気付くのです。

 人はキリストにあって真の平安と癒やしを手にします。平安は、単に平穏無事というだけではなく、神のすべてがそこにあるという意味で、それが「シャローム」です。平安はみんなに必要ですが、キリストと聖霊の内にしかありません。

 そういうわけで、使徒パウロは、ガラテヤの人々に聖霊の働きを指し示しました。聖霊が私たちの内で働くと、愛、喜び、平安などの実が結ばれ、日常生活の中で経験できます(ガラ5:22-23)。御霊は、揺るぎない真の平安に不可欠です。

 キリストとご聖霊の内にあって、日々の戦いのなかでも私たちは真の平安を経験します。今週も真の平安の中で進みましょう。         (B.クラウダー 「平安な人生」から一部引用)