2015年11月15日日曜日

2015年11月15日 第3主日礼拝 悪霊からの解放

招詞
【主】の栄光が、とこしえにありますように。【主】がそのみわざを喜ばれますように。私は生きているかぎり、【主】に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
                                                    詩篇104篇31,33節
聖書箇所
ルカの福音書 8章26-39節
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説教
悪霊からの解放  田口勇新牧師

言(こと)ローグ33/「捕えた」と「出て行った」
ルカの福音書8章の2つの動詞に注目します。「捕えた(29節)」と「出て行った(38節)」です。新改訳では、原文の通りに「捕えた」となっています(新共同訳は、悪魔に捕えられた、と受動態)が、38節のほうは、「悪霊を追い出された人」と受動態のように訳されています。能動態が受動態に訳されると、哀れな人にだけ焦点がいってしまい、悪霊たちの力と邪悪さが薄められてしまうと思います。レギオン(軍隊用語で6千の部隊)と呼ばれた悪霊どもは、容赦なしの悪役で、圧倒的な暗闇の力でこの哀れな男の人を捕えてしまっていたのです。誰もかわいそうだと同情する人がいなかったのです。何と暗いことでしょうか。しかし、イエスさまは、彼に同情し、まっさきに加害者である悪霊たちに向かって「この人から出て行け」と命じたのです。
  悪霊たちは、イエスさまに命じられた通り、この人から「出て行ったのです」。原文通り「悪霊が出て行った人」というのは訳しにくさからでしょうか、新改訳では、「悪霊を追い出された人」と人に焦点が移っています。悪霊の恐ろしさ、イエスさまと渡り合う狡猾さ、まさに軍隊のように一体となって出て行くすばしこさを見逃してはならないでしょう。悪霊たちが豚に乗り移ることをイエスに願ったのは、底知れない滅びの闇に落とされることを恐れたからでした。当時の自然科学者であった医者のルカが悪霊の狡猾さをダイナミックに能動態で記術したことには意味があったわけです。現代でも、手を変え、品を変えて悪霊たちの働きが続いています。インターネットは悪いものではありませんが、批判力の乏しい10代の子どもたちを悪霊の世界に引きずり込み「捕える」サイトも多いので、親も教会も監視していく必要があります。