「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」 ヨハネの福音書10章9節
聖書箇所
ルカの福音書13章18~35節
説教狭い門から入りなさい 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ67/「努力して」か「勇気をもって」か
今朝の聖書か所に「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」(ルカ13:4)と、あります。努力するとはどんな意味でしょうか?ギリシャ語アゴニゾマイは、スポーツなどで勝利をめざして「競って」の意味です。しかし、人との競争ではなく、自分で決心して門をくぐりなさい、という文脈にはあまりあてはまらないように思います。イエスさまは、ヘブル語で説教なさったので、おそらくアーマツの強意形(ヒットアンメツー)を使われたと思います。実際、ヘブル語のルカの福音書では、アーマツで、この意味は、「勇気をもって」です。そうすると文脈にもスッと入ってくるように思います。イエスさまに従う弟子たちは多かったといっても全体からすれば少数派です。イエスさまを救い主と信じて、人々に告白し、天の御国をめざすことは、勇気を必要とすることでした。イエスさまは、いのちに至る門です。その狭さは、入るのに勇気を必要とする狭さです。イエスさまは、「多くの者たちが、パリサイ人や律法学者の側についているときにも、勇気をもって、わたしをを信じ、神の国を求め続けることを堅く決心せよ」と励ましているのです。クリスチャン人口1%の日本にいる私たちも少数派です。勇気をもってただ「狭い門」であられるイエスさまを信じ、ついていきましょう。 (銘形 「ルカの福音書を味わう」より加筆して引用)