招詞
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。神は私たちにとって救いの神。
詩篇68編19~20節
聖書箇所
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。神は私たちにとって救いの神。
詩篇68編19~20節
聖書箇所
創世記5章18節~24節
説教言(こと)ローグ/247 ふるいにかける
私の神、主よ。もし私がこのことをしたのなら、もし私の手に不正があるのなら、もし私が親しい友に悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対する者から、ゆえなく奪ったのなら。。。
詩篇7章3~4
マタイ13章にイエスの語られた「種蒔きのたとえ話」があります。道ばたに蒔かれた種、岩地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして良い地に落ちた種。種は神のことばです。私たちは、良い地に落ちた種が多くの実を結んだことを知っています。しかし、自分自身が決して良い地ではなく、道端や岩地やいばらの地であることを素直に認める人は多くはないようです。
瞑想は、神を知り、神を深く味わうことですが、同時に、ダビデのように神の「ふるい」にかけられて信と不信の狭間で揺れ動く自分の心を鋭く見つめる勇気も必要です。
ふるいにかけられる中で、自分自身の内にある心の問題を直視することは、辛いことですが、ご聖霊の声なき声に聴き従いましょう。やがて多くの実を結ぶようになると信じます。
(銘形「詩篇の瞑想」より一部引用)