2019年2月10日日曜日

2019年02月10日 第2主日礼拝 キリストの福音を携えて

招詞
 神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。                      コリント人への手紙第二5章18節

聖書箇所
コリント人への手紙第二 2章14~17節

説教
キリストの福音を携えて 田口孝子師
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言(こと)ローグ/273 アシュレー(幸いなことよ) 

 幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。              詩篇2篇12節
 
 新改訳では、「すべての事々に」と事象にかかっています。新共同訳は、「すべて」が、人にかかっています。どちらも可能な訳です。
 詩篇の第1篇と第2篇に共通するのは、アシュレー(幸いなことよ)です。アシュレーとは、「ああ、なんと幸いなことだろう。」「なんともうらやましい限りだ」といった感嘆を表わすことばです。第1篇の「幸いな人」とは、積極的な意味で「主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」ことで、やがては何をしても栄える人のことですが、第2篇での「幸いな人」(12節)とは、「主に身を避ける人」のことを語っています。私たちは礼拝のときに、神が主であることを喜んで「心から」認めたとしても、実際の生活での経済面や守りの面という点になると、自分の心のおもむくままに決めてしまうことが多いのではないかと思います。そして神ならぬものに頼ろうとしてしまうのです。これも偶像崇拝の一つです。
 神の子どもとされた私たちのこの世での務めは、何よりも主を信頼することです。イエスが「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」(ヨハネ15章5節)と言われたように、「主に身を避ける」ことを学ぶことなしに、私たちがなし得るものは何一つないことを深く心に刻みつけたいと思います。実生活の中でもアシュレーと主に告白する毎日でありたいと願います。                    (銘形「ヘブル語ディリーブレッド」から引用)