招詞
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったのだから。まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出してくださいました。 詩篇116篇7~8節
聖書箇所
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったのだから。まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出してくださいました。 詩篇116篇7~8節
第一列王記19章1~18節
説教
エニシダの下の休息 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/322 隠れ場(セーテル)
それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかなところに私をかくまい、岩の上に私を高く上げてくださるからだ。 詩篇27篇5節
新共同訳では、つぎのように訳されていますので比較してみましょう。
「災いの日には必ず、主はわたしを仮庵にひそませ、幕屋の奥深くに隠してくださる。岩の上に立たせ。」
新改訳の「それは」は、その前に記されている事柄すなわちダビデが経験したいろいろな困難をさしています。ダビデも彼のの歩みの中に多くの悩みの日々があったのです。その悩みの日は、ダビデをして主との親しい交わりの中に招く機会となりました。この主との交わりの場こそが、隠れ家でした。そしてダビデは主との深いかかわりの中で、しっかりとした岩の上に高くあげられることを経験したのでした。詩篇31:20も悩みの日の詩です。「あなたは彼らを人のそしりから、あなたのおられるひそやかな所にかくまい、舌の争いから、隠れ場に隠されます。」 上記の27篇と併せて理解すると、「悩みの日」だけでなく、人からの非難や争いを挑む舌から守るためにも、主はダビデを隠れ場に置かれました。このダビデの経験と喜びを私たちのものにするために、主との交わりの場を、困難の時の隠れ家として進みましょう。
(銘形「ヘブル語のキーワード入門」より引用)