招詞
幸いなことよ、主を恐れ、主の道を歩むすべての人は。あなたがその手で労した実りを食べること、それはあなたの幸い、あなたへの恵み。詩篇128篇1~2節
ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。 コロサイ人への手紙3章17節
ジョージ・マクドナルドの「隠れた生活」は、才気あふれるスコットランド人の青年が一流の学者の地位を捨て、老いた父の暮らす実家の農場に帰っていくという物語です。友人たちは、彼が自分の才能を無駄にしていると嘆きました。しかしこの青年は、マクドナルドが「普通の行い」とか「さり気ない援助」と呼ぶことを実行します。
あなたも、人に気づかれない所で平凡極まりない働きをしているかもしれません。時間の無駄だという人もいるでしょうか。しかし、神に無駄はありません。神にささげられた愛の行為はすべて覚えられており、永遠の報いにつながります。どんな場所でも、どんなに小さな場所でも聖地になります。人の心に触れるのは高尚な行いや言葉だけではなく、普通の人の小さな親切かもしれません。そこにいること、話を聞くこと、必要を理解し、愛し、祈ることなどです。この行為が日常の務めを、神を礼拝すること、神に仕えることに変えてくれるのです。
上記のみ言葉は、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています」(3:23~24)に続きます。イエスは、私たちの小さな親切に目を留めてくださり、私たちが用いられることを喜んでくださると約束しています。 (D.ロパー「隠れた生活」から一部引用)