招詞
私は主を待ち望みます。私のたましいは待ち望みます。主のみことばを私は待ちます。 私のたましいは、夜回りが夜明けを、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。
詩篇130篇5~6節
「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」 マタイの福音書1章21節
「クリスマス」ー救い主の降誕祭ーをよりよく迎えるために、キリスト教会はその前の期間を「待降節」(アドベント)として、イエス・キリストの到来を待ち望む霊的な準備の期間として用いてきました。
ところが、毎年迎えるこの期間の過ごし方が習慣的なものとなっていることは否めません。しかも日本では「師走」という最もせわしないこの時期、キリスト教会もそれに劣らずクリスマスを伝道の好機として、さまざまなイベントの準備で忙しくしています。先進国では珍しく12月25日も休日ではなく、普通に仕事の日になっていることもクリスマスを迎える心を削いでいる気がします。インドネシアやマレーシアのようなイスラム教国でも25日は祭日で、クリスマスが祝われています。
このように本来のアドベントの意義を完全に見失っている現状があります。私たちクリスチャンには、この時期を意識的に、新たな思いと期待をもって神の賜物である御子イエス・キリストを瞑想する時として心を整え、備える必要が逆に求められています。神から来る静まりの中で、「ことばに表わせないほどの神の賜物」ー御子イエスの受肉の神秘と再臨の希望ーに深く思いを馳せることこそ、真のアドベントだと信じます。大人も子供もアドベントカレンダーを壁に貼りアドベントの毎日を忘れない、感謝して過ごすなどの工夫があると良いと思います。
(銘形「アドベントの瞑想2010」より一部引用)