2016年10月2日日曜日

2016年10月02日 第1主日礼拝 神様の計り知れない赦し

招詞
イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」                         ヨハネの福音書14章6節

聖書箇所
マタイの福音書18章21~35節

説教
神様の計り知れない赦し ロビソン・ディビット師
言(こと)ローグ78/「口ずさむ」 ハー ガー
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」         詩篇1篇2節

 「口ずさむ」(あるいは「思い巡らす」(英訳meditate)と訳されている「ハー ガー」旧約で25回、そのうち詩篇では10回使われています。その意味は、「うめく」「つぶやく」「声を出す」「さ さやく」「親しく語る」「考える」「思う」です。旧約の詩人にとって、神とそのみことば、あるいは御業は口を用いて言い表すことに直結さ れていたようです。口語訳では「思う」と訳されていた「ハーガー」を、新改訳、新共同訳で「口ずさむ」と訳しているのは原意に近づけたものと思われます。ちなみに、バルバロ訳では「瞑想し」典礼訳では「心に留める」と訳されています。
 「主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」者こそ幸いなことだとするこの詩篇の第1篇は、詩篇全体を読み解く大切な鍵とも言える詩篇だと言えます。というのも、詩篇はもともと神の御前での瞑想によって生まれたものであり、それが書き記され編纂された目的は 神の民が瞑想に用いることができるためでした。それゆえ、詩篇は今日に至るまで瞑想の祈りの源泉となっています。
                                            (銘形 「詩篇の世界」 より引用)