招詞
キリストは神の御姿である方なのに、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。 ピリピ人への手紙 2章6~7節
聖書箇所
キリストは神の御姿である方なのに、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。 ピリピ人への手紙 2章6~7節
聖書箇所
ルカの福音書 2章39~52節
説教言(こと)ローグ93/必ず(ディ)
「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」 ルカの福音書 2章48節
必ず(ディ)という言葉にはイエス様自身の意識が現れています。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか」。必ず(ディ)は、新約聖書で101回も出てきます。ディは、後にご自分が十字架にかけられて死ぬことを弟子たちに予告する時にも出て来ます。
「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです」 ルカの福音書 9章22節
ここでの「必ず~ねばならない」と訳されている部分がディです。
何が「必ず~」なのでしょうか。それは「父の家にいること」です。「父の家」は、原語をそのまま訳すならば「父のもの」の意味になります。イエス様はただ神殿のことだけを言っておられたのではなく、父なる神の働きに共に携わっていると言っているのです。
それは具体的には、やがて十字架にかけられることになる人生を歩んでいるということです。そのようにして人々の罪を贖い、神の救いの御業を実現することになる歩みです。それが「必ず~なる」と言われたのです。たった12歳の少年でしたが、イエス様は既にその時、天の父の定められた道を意識しておられました。