2018年9月9日日曜日

2018年09月09日 第2主日礼拝 新しい人の親子関係②

招詞
私たちは、あなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。                      詩篇75篇1節  

聖書箇所
エペソ人への手紙6章1~4節

説教
新しい人の親子関係② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/252  いやし(カタルシス)の涙 ② 

 私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、【主】よ。私の目を輝かせてください。                                  詩篇13篇 2bー3a節 
 
 カタルシス(いやし)という言葉は、もともと体内に溜まった汚物を対外に排出して体内を浄化するという意味のギリシャ語です。これを精神的な意味に適用したのはアリストテレスが初めてだと言われます。 
 詩篇の世界では、自分の心にある鬱積(うっせき)した感情を神に訴えることによって、あるいは、自分の魂に語りかけることによって、神から与えられるカタルシス(いやし)を経験しています。特に「嘆きの詩篇」といわれるものはそうです。そしてそれを記すことで、同じ悲しみの境遇にある者たちに共感を与えているのです。詩篇が、時代を越えて、多くの人々に読まれ、多くの人々から尊ばれてきたのも、そうした詩篇のもつカタルシス効果のゆえだと信じます。詩篇など聖書に見られるこのカタルシスは単なる気晴らしや楽観的な思考、あるいはパフォーマンス的な行為によっては決して得られないものでしょう。 それは、神の霊が詩篇作家の信仰に働いて書かれたものだからです。
 詩篇をじっくりお読みになることで、ダビデや作者の涙と信仰に共感する瞑想の時をお持ちください。                    (銘形「詩篇の瞑想の手引き」より一部引用)