招詞
私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。 詩篇73篇28節
聖書箇所
エペソ人への手紙6章1~4節
私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。 詩篇73篇28節
聖書箇所
エペソ人への手紙6章1~4節
言(こと)ローグ/251 いやし(カタルシス)の涙①
私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。 詩56篇6節
人はどうして涙を流すのか。嬉し涙、感動の涙があれば、悲しみの涙、寂しさの涙、失意の涙、悔し涙もあります。人が流す一粒の涙の意味は実に深いものがあります。旧約聖書には「涙」ということばが39回使われていますが、そのうちの12回が詩篇の中にあります。詩篇の涙は、上記56篇6節に代表されるように、ほとんどが嘆きの涙、悲しみの涙です。しかしその涙が涙で終わりません。
「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」 (詩篇30篇5節)
「涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所」 (詩篇84篇6節)
となるのです。
どうして、涙が悲しみだけで終わらないで、喜びの叫びになったり、おかれている状況を泉のわく所とすることができるのでしょう。作者の秘訣は何でしょうか。読者がその秘訣をさぐることこそ詩篇瞑想の醍醐味です。 (銘形「詩篇の瞑想の手引き」より引用)