2018年9月2日日曜日

2018年09月02日 第1主日礼拝 新しい人の親子関係①

招詞
私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。                詩篇73篇28節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章1~4節

説教
新しい人の親子関係① 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/251 いやし(カタルシス)の涙①

 私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。                                   詩56篇6節

 人はどうして涙を流すのか。嬉し涙、感動の涙があれば、悲しみの涙、寂しさの涙、失意の涙、悔し涙もあります。人が流す一粒の涙の意味は実に深いものがあります。旧約聖書には「涙」ということばが39回使われていますが、そのうちの12回が詩篇の中にあります。詩篇の涙は、上記56篇6節に代表されるように、ほとんどが嘆きの涙、悲しみの涙です。しかしその涙が涙で終わりません。
「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」       (詩篇30篇5節)
「涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所」              (詩篇84篇6節)
となるのです。
 どうして、涙が悲しみだけで終わらないで、喜びの叫びになったり、おかれている状況を泉のわく所とすることができるのでしょう。作者の秘訣は何でしょうか。読者がその秘訣をさぐることこそ詩篇瞑想の醍醐味です。             (銘形「詩篇の瞑想の手引き」より引用)