2018年9月23日日曜日

2018年09月23日 第4主日礼拝 10のことば

招詞
われらの力であられる神に喜び歌え。ヤコブの神に喜び叫べ。声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。    詩篇81篇1~2節

聖書箇所
出エジプト記20章1~17節

説教
10のことば 菅孝雄兄

言(こと)ローグ/254  詩篇の中の信仰告白①

 神よ、私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。 神は、天からの送りで、私を救われます。
                                   詩篇57篇1~3節
詩篇に共通する要素があるとすれば、それは「信仰告白」です。つまり、神が自分にとってどのようなお方であるのかという告白です。ちまたで言う「私はあなたが好きです」という一方的な感情の告白ではありません。詩篇には、神は「・・・の方」という表現形式や、「神は、私の・・・・」という表現形式をとった告白が数多くあります。それらはみな、実際に神をそのような方として経験したからです。
 上記、詩篇57篇は、ダビデが荒れ野の洞窟の中で作った歌です。サウル王が忠実な軍司令官ダビデを、嫉妬心から憎み、謀反人という冤罪をでっちあげて、殺そうとした背景があります。理不尽な仕打ちにダビデは意気消沈しながらも神、主を信じて祈っています。ここには、信仰告白がありますね。
私たちは自分の語ることばによって支配されます。失敗について語れば失敗に束縛され、心配を口にするなら心配に心が捕らわれてしまいます。つぶやきを口にしている者が心に平安を与えられることはありません。口で語ること、口で告白することは、私たちの生き方に大きな影響を与えているのです。
 したがって、詩篇を瞑想するとき、その詩篇の作者が置かれた状況の中で神をどのように告白しているかに注目することはとても重要なことです。(銘形「詩編瞑想の手引き」よろり一部引用)