2019年3月17日日曜日

2019年03月10日 第2主日礼拝 祈りのちから

招詞
神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。                   コロサイ人への手紙3章12節


聖書箇所
エペソ人への手紙6章10~18節

説教
祈りのちから 田口勇新牧師

言(こと)ローグ/278 同情(スプランクニゼスサイ)

 ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は弟息子を見つけ、「かわいそうに思い」、走り寄って彼を抱き、口づけした。                   ルカの福音書15章20節

 語根のスプランクナは、心臓、肺臓、肝臓、腸のような重要な内臓の意味です。ギリシャ人は、この部分に感情、とくに怒り、不安、恐怖、そして愛情の座があると考えました。
 スプランクニゼスサイ(同情)は、マタイ、マルコ、ルカの福音書だけに使われ、上記、放蕩息子の帰還への父(神のたとえです)は、イエスが、思いやりあふれる同情主の意味で多く用いておられます。
 イエスは、霊的に飢え乾いてみもとにやってきた群衆を見て、深く憐み(マタイ9:36、マルコ6:34)ました。ツアラートに罹り社会から締め出された人々を深く憐み、2人の盲人に対する憐み(マタイ2:34)などなど、スプランクニゼスサイであふれています。イエスがこの人たちの悲しい状態に心動かされ、行動を起こされ、霊的乾きを癒し、病気を癒されました。それはイエスの心が彼らとともにあったということでしょう。この侵され、他に、例で多用されています。
 私たちも同情することは沢山ありますが、その時、ただの傍観者であってはならいないということですね。イエスの「こころ」を深読みしていきましょう。
                                                               (バークレー「新約聖書ギリシャ語精解」より引用)