2019年9月1日日曜日

2019年09月01日 第1主日礼拝 見習いたい信仰の人

招詞
 これらすべては、わたしの手が造った。それで、これらすべては存在するのだ。
ー 主のことば ー  わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。                         イザヤ書66章2節


聖書箇所
ルカの福音書7章1~10節

説教
見習いたい信仰の人  田口孝子師
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言(こと)ローグ/303 寂しい所で(エレーモス)

 「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、
       寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」         マルコの福音書1章35節

 エレーモスは、人気のない、静かな場所です。そうした場所を持つことは霊的にきわめて重要です。一人になれる場所で、神と過ごす時をイエスは自分の生活において何にも優って優先されていたのです。しかも十分な霊的「インプット」によって、4章31節以降に記されている忙しい働き(アウトプット)をすることができたと言えます。
 私たちは、「主の祈り」を会衆といっしょに毎週唱えています。ただ、そのシンプルな祈りはあくまでも祈りのアウトライン(概要)です。そこから、一人になってエレーモスで、本論となる祈りが生まれると思います。
 霊的な「インプット」と「アウトプット」。祈りと働き。隠遁と公現。静寂と活動。そのバランスを正しく保てていないことが今日の多くのクリスチャンの現実ではないかと思います。イエスの場合、御父との親しい交わりしての祈りのあふれが、具体的な働きとなって現わされたのです。
 私たちは、エレーモスで祈る工夫ができるでしょうか?そこでは、祈りの課題を祈ること以上の神さまとの交わり、イエスさまとの対話の場となるでしょう。
                   銘型「イエスのインプットとアウトプットのバランス」