2020年8月1日土曜日

2020年08月02日 第1主日礼拝 実のならないぶどうの木

招詞
 すべての国々よ主をほめたたえよ。すべての国民よ主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことは とこしえまで。 ハレルヤ。                詩篇117篇1~2節

聖書箇所
エゼキエル書15章1節~8節

説教
実のならないぶどうの木 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/347 みことば欠乏症

 私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。
                         コリント人への手紙第一10章16~17節

 ここには主の食卓における交わり、つまりキリストの血潮によって罪を赦された者たちが、キリストのからだにおいて、一つのパンを食べることでひとつになるという交わりがすでにあることが強調されています。この一つのパンは神のパンです。この神のパンは私たちが「豊かないのち」を得るために必要な糧です。この糧はイエスご自身です。イエスは、私たちに贈られた神のパンなのです。
 神のパンはすでに与えられていますが、私たちがそのパンの豊かさを掘り起こすという努力が十分でない、ということなのです。忙しくて、他の事柄に関心がいって、聖書を読むことが少ない、聖書のことばに耳を傾けるゆとりのない心が蔓延しているのです。神が唯一、この世にいのちを与えるパンを与えてくださったにも関わらず、多くのキリスト者はそのパンの食卓を豊かにするどころか、より貧しくしているのです。私たちは、どうで
しょうか?教会はどうでしょうか?みことば欠乏症にならないようにみことばのパンを毎日きちんと食べましょう。                      (銘形「主の食卓」より引用)