2022年9月4日日曜日

2022年09月04日 第1主日礼拝 過ぎ越し 贖いの力 ①

招詞
 主は、心の砕かれた者のそばにおられ、魂の砕かれた者を救われる。正しい者には悩みが多い。しかし、主はそのすべての悩みから救い出される。    詩篇34篇18~19節 (現代訳)

聖書箇所
出エジプト記13章1節~16節

説教
過ぎ越し 贖いの力 ① 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/455 人の子は安息日の主

 イエスは、言われた。「人の子(イエス)は、安息日にも主です。」
                            ルカの福音書6章5節 (現代訳)

 安息日(クリスチャンにとっては日曜日)を日常の生活から切り分けて聖なる日とすることは、永遠に変わることのない神のご意志です。しかしイエスの時代の宗教指導者たち(パリサイ人など)は、人々を生かすことよりも口伝律法も含め、規則で縛りました。別の安息日に、イエスがユダヤ人会堂に入って教えておられた時、そこに、右手のなえた人がいたので、彼を直してやりましたが、パリサイ人たちは激怒しました。「安息日に人を救った」からです。しかし、これは、律法の安息日違反ではありません。
安息日の目的は2つです。第1は、神と共にあることを喜び楽しみ、神から与えられたみ言葉を学び、その中に示されている神の民としてのあり方を生きるためです。第2は、心身の休息です。週一休むことで、休日が信仰の回帰点ともなります。自分のためだけではありません。申命記5:14には、主人が休まないと休めない在留異国人、男女の奴隷たちなど、当時の社会的な弱者たちも休めるようにと付記されています。現代の日本社会にも適用したいみことばです。
                     (銘形:「イエスの破天荒な言動2」より一部引用)