2017年4月23日日曜日

2017年04月23日 第4主日礼拝 信じるなら、神の栄光を見る

招詞
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
                           コリント人への手紙第2 3章18節

聖書箇所
ヨハネの福音書11章39~40節

説教
信じるなら、神の栄光を見る 玉井邦美牧師
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言(こと)ローグ106/「神の力」の同義語と類義語
 神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。        エペソ人への手紙1章19節
 
信仰は神の力を知る通路だといえます。電気は、発電所で得た電気のエネルギーが電線という通路をつたわって、工場、事務所、家庭で熱であったり、光であったり、動力となったりして働きます。
 神の全能の力も、私たちの信仰という通路を通って、ひとつの力となります。それはある行動を促したり、思いや想像を越えた出来事(奇蹟)を引き起こしたりします。困難な問題が解決したり、病が癒されたり、私たちの心にある心配や不安に変えて平安をもたらします。これは信仰によって、神の全能の力が働いたからです。パウロが、エペソ教会につながる一人一人がより多く、豊かに、神の全能の力の働きを知ることができるように、祈っているように、神さまは、今日のすべての聖徒たち(つまり、私たち)にも神の力を経験してほしいと願っておられます。



2017年4月16日日曜日

2017年04月16日 イースター・召天者記念礼拝 イエスの復活を信じて

招詞
あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。        マタイ28章5~6節

聖書箇所
ルカの福音書  24章1~12節、44~53節

説教
イエスの復活を信じて 田口勇新牧師
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2017年4月9日日曜日

2017年04月09日 第2主日礼拝 受難③ イエスの死と勝利

招詞
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。                             へブル人への手紙12章2節                        
聖書箇所
ルカの福音書 23章24~49節

説教
受難③ イエスの死と勝利 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ105/きょう(ハツヨーム)
あなたは、きょうわたしとともにパラダイスにいます。      ルカの福音書 23章43節

イエスさまの十字架上の7つのことばのうち、2番目に語られたことばで、隣の十字架にかけられている強盗の一人がこの慰めのことばを聞きました。「パラダイス」とはラザロと金持ちの話(ルカ16:19~31)にある「アブラハムのふところ」です。そこは、自分の罪を悔い改めて、イエスを信じて義とされた者たちが行くところです。
 「きょう」という言葉は、私たちが考えている「昨日、今日、明日」という意味での「今日」ではありません。ヘブル語では「ハッヨーム」で「その日」とも訳せます。つまり、神によって「定められた日」、神によって「しるしづけられた日」を意味します。「私たちが。目覚めていても、眠っていても、主とともに生きる」(テサロニケ第一5:9)ところが、パラダイスです。ですから、神の定められた「その日=きょう」という日に現存するのです。そこに私たちの希望があります。パラダイスの希望をもって進みましょう。イエスさまは招いていてくださいます。家族や友人がこのパラダイスにいっしょに入れるように祈りましょう。
                          (銘形 「十字架のイエス」から引用)


2017年4月2日日曜日

2017年04月02日 第1主日礼拝 受難② 十字架のみち

招詞
神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。
                            コロサイ人の手紙1章13~14節

聖書箇所
ルカの福音書 22章 39~54a、 63~71節
       23章 1~23節
説教
受難② 十字架のみち 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ104/ヘーフェツ(愛)
 
ソロモンは、シェバの女王が求めた物は何でもその望みのままに与た。
                                 第1列王記10章13節

ヘーフェツが、人の親切や寛容に使われるときは、上記のように、望みのままにとなります。
 ヘーフェツの愛は、人が神になにかを願って求めることに対して、神が喜んで良いものを「惜しみなく与えようとする愛」です。そもそも天の父はその子どもたちに良いものを惜しみなく与えることを何よりも喜びとされる神です。
 人が自分の欲望や私利私欲のために求めるものに対してではなく、神のみこころにかなって願い、求められることに対しては、神は黙っておられない方なのです。与えることを何よりも喜びとされる神、この神の惜しみなく与えようとする愛こそ「ヘーフェツの愛」なのです。旧約聖書では、4つの愛する、という言葉があります。アハヴァー(一方的な選びの愛)、ヘセド(契約愛)、ヘーン(受けるに値しない者に対する神の好意・愛)、そして、ヘーフェツです。図は、ギリシャ語の愛(アガペー、フィリア、カリス)との関係を表しています。
 目を上げて、求めること、要求することを待っておられる神さまに願いましょう、惜しみなく与えてくださる神さまに。
                         (銘形 ヘブル語のキーワードより引用)

2017年3月26日日曜日

2017年03月26日 第4主日礼拝 受難① 聖餐

招詞
主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。 主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
                               1歴代誌16章11~12節

聖書箇所
ルカの福音書  22章 1~23節

説教
受難①  聖餐 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ103/ホーラ(時)
さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のも  のを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。                              ヨハネの福音書13章1節
 
上記の「時(ホーラ)」は、本来、時期とか季節とかを意味しますが、ここではある特定の出来事を伴った時のしるしを意味するようです。ホーラの一例がヨハネ16:21にあります。「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。」とあるように、新しいものを生み出すための産みの苦しみの出来事(しるし)としてヨハネはこの「ホーラ」を使っています。また、それは死からよみがえられて高く挙げられ御父のもとに帰られる栄光の時をも含んでいます。
 「栄光の時」は同時に、「暗闇の時」がサタンの抵抗が最高潮に達する時でもあります。私たちは、復活と永遠のいのちの希望に生きていますから、受難を最高点とは考えにくいのですが、四つの福音書において、イエスの生涯はいずれも受難の時を頂点として描かれています。毎週繰り返される信仰告白で、「ポンテオピラトもとで苦しみを受け.....十字架につけられ、死んで葬られ」というくだりをていねいに告白し、イエスさまの「あの時」を思い起こしたいものです。

2017年3月19日日曜日

2017年03月19日 第3主日礼拝 神の国のまえぶれ②

招詞
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
詩篇46篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書 21章7~27節

説教
神の国のまえぶれ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ102/隠れ場(セーテル)
「あなたは、御もと(セーテル)に彼らをかくまって(サータル:セーテルの動詞形)、人間のはかりごとから守ってくださいます。仮庵の中に隠し、争いを挑む舌を免れさせてくださいます。」    
詩篇 31篇20節 (新共同訳)

 主がダビデを詩篇27篇にあるような「悩みの日」だけでなく、31篇のように、人からのそしりや人との舌の争いから守るためにも、ダビデをひそかに所にかくまわれたことを記しています。これは恩寵としての秘密の場所にダビデが招かれ、導かれたということを意味します。3000年前に読まれ歌われた詩が現代の私たちの心に響きますね。

 神の「隠れ場」に身を避け、そこに住み(とどまり)、神のみことばを待ち望むことは、力を得ます。上掲の詩篇におけるダビデも、預言者エリヤも、使徒パウロも、そしてイエス・キリストも「隠れ場」を知っていました。私たちも、争いから逃れ、一時神に身をさけることは、知恵です。恥ずかしいことでも不名誉なことでもありません。

(銘形ヘブル語のキーワード」より引用)

2017年3月12日日曜日

2017年03月12日 3.11祈念礼拝 神の国の前ぶれ1①

招詞
わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。                                  詩篇40篇8節

聖書箇所
ルカの福音書 21章5~6節

説教
神の国の前ぶれ① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ101/ヘーン(好意と親切の愛)
しかし、ノアは、【主】の心にかなっていた。              (創世記6章8節)
 へブル語で、神の愛をあらわす言葉は、3つあります。1つ目は、アハバーで選びの愛です。2つめは、ヘセドで契約の愛です。3つめは、ヘーンで、好意とか親切と訳されています。
 上記、創6:8は、原文では「ノアは主の目に恵みを見出した。特別な好意を見出した」です。ノアは、神を信じない暴力や退廃(たいはい)の支配する時代の中にあっても、彼と家族のみの完全な少数派であっても、時代の流れに流されることなく、主体的に、自発的に「神とともに歩んだ人」でした。こうした生き方だけでも「慰め」を意味する「ノア」の存在が光ります。
 そのノアに対して、主は特別に目をかけられて、特別にひいきされて神の地上での新しい出発のためにあの「箱舟」が用いられたのです。この神の態度が今回のキーワードである「ヘーン」なのです。ルツ記2章には、「親切」ということばが3回使われていて、人ができる好意・親切が取り上げられています。一方的な親切、「よそ者である私にどうしてこんな親切にしてくださるのですか。あなたの使用人でもないのに、こんな親切にしてくださるとは・・・」とルツがボアズの親切に感動しています。実に一方的な親切です。これが「ヘーン」の愛なのです。
 ヘーンは、神さまとボアズにならってわたしたちもできる愛です。6年目の冬を耐えて春を待つ大震災の被災者の方々に、さらなる一方的で親切な言動を続けていきましょう。見返りを期待しないで。
                        銘形「ヘブル語のキーワード」から一部引用)

2017年3月5日日曜日

2017年03月05日 第1主日礼拝 レプタ銅貨2枚の信仰

招詞
主は【主】の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
                               サムエル記第一  15章22節

聖書箇所
ルカの福音書 21章1 ~4節

説教
レプタ銅貨2枚の信仰 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ100/祝福された望み
祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。         テトスへの手紙 2章 13 節

 キリストの再臨はキリスト教信仰においてきわめて重要です。明治時代のクリスチャンとして知られる内村鑑三は、「十字架が聖書の心臓部であるなら、再臨はその脳髄であろう。再臨なしに十字架は意味をなさない。したがって、我々クリスチャンは再臨の信仰の立場に立って聖書を通観する必要がある」と述べました。
 初代教会は、そうした意味ではまさに再臨の希望に満ち溢れる教会でした。迫害の中でも彼らが世に勝ったのは、目に見えるものに心を奪われなかったからです。
 このことは現代に生きる私たちにとっても真理なのです。再臨によってもたらされるこの世の終わり、救いの究極的完成の時を、最も確かな出来事として信じながら、困難な時代を生き抜きましょう。                    (銘形「キリストの再臨と終末預言」より引用)