2015年8月2日日曜日

2015年8月2日 第1主日礼拝 赦し与える幸い

招詞
主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。
主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とそのさとしを守る者には。
詩篇25篇9~10節

聖書箇所
ルカの福音書 6章37~42節

説教
赦し与える幸い 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ19/十分な訓練を受けた者 カタルティメノス
本日の聖書箇所、ルカの福音書40節の「十分な訓練を受けた者」は、カタルティメノスの訳です。これは、動詞カタルティゾーの名詞型で、動詞の意味は、直す、(網を)繕う、修繕する、整える、整備する、完全にする、欠点のないものとする、(本来の良い)姿にする」です。と言った意味の完了形の受動態の分詞(名詞的用 法)を、新改訳では「十分な訓練を受けた者」と訳しているのです。

福音書では、魚師が破れた網を「繕う」というところで使われています。網が破れていては漁はできません。ですから「繕う」ことが必要なのです。 イエスの弟子たちも主によって繰り返し、「繕われる」=取り扱われる必要があった のです。 弟子たちは、3年ほどの訓練で、イエス様に取り扱われ、何とかエルサレムの大教会の奉仕に間に合う者、役立つ者とされました。

私たちは、 どうでしょうか?

小さく固まった信仰に満足したり、逆に、大きな破れ穴を修繕しないで(してもらわないで)放りっぱなしということはないでしょう か?