2016年5月1日日曜日

2016年05月01日 第1主日礼拝 ぶどうの木の枝として

招詞
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人のなかにとどまっているなら、そういう人は多くの実を結び ます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。                                             ヨハネの福音書 15章5節
                    
聖書箇所
ヨハネの福音書15章1~8節

説教
ぶどうの木の枝として 田口孝子師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ57/「イエスの友 ピリポ」
「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足です。」 (ヨハネ14:8) 
  良い問いかけは偉大な真理を引き出しますが、このピリポの問いは、イエスを当惑させました。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。」(9節)。教会の時代になり、御子イエスのことばを読むことは、聞くことでもあります。聞くことは、御父のことばを聞くことです。御父と御子の間には永遠の愛が存在します。そのいのちの中に私たちを招くために、御子と御父は、今も私たちに語りかけて、かかわろうとしておられるのです。私たちは、この「いのちの招き」の中に入っていることを至福と感じているでしょうか? 
                                            (銘形「イエスの友」より一部引照)