2018年12月2日日曜日

2018年12月02日 アドベント第1週 第1主日礼拝 なぜマリアが

招詞
主こそ王。威厳を衣とし力を衣とし、身に帯びておられる。御座はいにしえより固く据えられ、あなたはとこしえの昔からいます。                  詩篇93篇1a~2節

聖書箇所
ルカの福音書1章26~38節

説教
なぜマリアが 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/263 弱さと謙遜⑤   謙遜の回復 その2

 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。                 詩篇23篇6節

  ダビデの霊性のキーワードである「主の家に住む」を、新約聖書のことばで言い換えるならば、次の三つのキーワードをつくることができます。
(1)キリストのくびきを負うこと(安息)
(2)キリストのうちにとどまること(自由)
(3)謙遜の限りをつくして仕えること(高揚)
 前回は、キリストのくびきを負うことをとりあげました。これは安息を与えてくれます。今回は、2番目のキリストの内にとどまることをとりあげます。実は、「イエスのくびきを負う」ということばを別なことばで表現するなら、「キリストのうちにとどまる」(ヨハネ15:4)ことです。「わたしのもとに来なさい。」そして「わたしのうちにとどまりなさい」とイエスは言っているのです。後者のことばは実はとても重要で、ここが欠落しているクリスチャンが多いのではないかと思います。現代は、ビジネス、教育、スポーツでも結果だけが尊重されますね。しかし、それは勝ち組と負け組を作り、そのコミュニティや国を分断します。逆に、イエスにとどまる信仰をもっている人は、耐震機能のある人でしょう。他人の評価・批判の激震のなかでも、魂の安らぎとともに、「結果主義からの自由」を勝ち取って生きることができます。イエスの言葉を肝に命じましょう。「わたしにとどまりなさい。わたしを離れては、あなたがたはなにもできないからです。」ということばの真意を悟ることができるように祈りましょう。
                          (銘形「謙遜への招き」より一部引用)