2025年11月2日日曜日

2025年11月02日 第1主日礼拝 

招詞
 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。 詩篇121篇1~2節   

聖書箇所
ハバクク書1篇1~11節

説教
主のご計画は不可解? 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/615 メッセージはみ子

 神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。 ヘブル人への手紙 1章1~2節

 レイ・トムリンソンは1971年、人がコンピュータを介して対話する方法をいくつか試していました。彼はネットワークを通して、自分のコンピュータから別のコンピュータにメッセージを送ったのですが、これが世界で最初のEメールです。数十年経た現在、毎日10億通以上のEメールが送信されています。その多くは、家族や友人からの大切なメッセージですが、不要な広告や有害なウイルスが送信されてくる場合もあります。Eメール使用の基本的なルールは「送り手が信頼できないなら、そのメールは開けるな」です。
 神が私たちに送られたメッセージは、ご自分の御子イエスでした。このメッセージの送り手は信頼できるお方です。旧約聖書の時代、神は預言者を通してご自分の民に語られましたが、多くの人は、その神のみことばを拒絶しました。
     クリスマスは忘れがたい、愛と贖い、そして希望のメッセージであり、その送り主は神です。      私たちはこのメッセージの贈り手を信頼し、それを開けました。今年も待降節は、11月30日(日).12月24日です。わたしたちは、この愛と希望のメッセージを神さまに代わって届ける役割をいただいています。カレンダーをめくりながら、愛する方々のことを思い、メッセンジャーになれるように願いましょう。 (D.マッカスランド 神からのメッセージより一部引用)

2025年10月19日日曜日

2025年10月19日 第3主日礼拝 立ち上がりなさい

招詞
    私に悟らせてください。私があなたのみおしえから目を離さず、心を尽くしてそれを守るために。私にあなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。
                                詩篇119篇34~35節

聖書箇所
使徒の働9章32~43節

説教
立ち上がりなさい 田口勇新牧師


言(こと)ローグ/613 ありえない?

 いつまでも主に信頼せよ。                       イザヤ書 26章4節

 ある冬の朝、ブラインドを開けて驚きました。霧の壁です。天気予報によると、それは「着氷性の霧」というものです。この地域ではまれですが、さらなる驚きは、1時間後には晴天という予報でした。私は夫に「あり得ない。一寸先も見えないのに」と言いました。しかし、1時間も経たないうちに霧は晴れ、晴天になりました。
 ユダ王国の善王ウジヤが亡くなり、腐敗した支配者たちが国の権力を握った時、預言者イザヤは似たような問いかけをしました。誰が信じられるのかと。しかし、神は驚くような幻でこの問いに応えられました。イザヤはその幻によって、神を信頼すれば、より良い未来が待っているので大丈夫だと確信できました。そして「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」(イザヤ26章3節)と述べ、「いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから」(4節)と賛美しました。
 自分の思考が神に集中しているなら、霧に包まれた混乱の中でも、神を信頼できます。今はっきりと見えなくても、神を信頼するなら、神の助けがやって来ると安心できます。先が見えず混迷しているとき、何を信頼しますか。どうやって目下の問題にとらわれず、永遠の神に心を向けますか。                        (P.レイボン「全幅の信頼)より一部引用)

2025年10月12日日曜日

2025年10月12日 第2主日礼拝 新しい創造と焼き印

招詞
    私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください。 いつのときも、あなたのさばきを慕い求めて、私のたましいは押しつぶされるほどです。        詩篇119篇19~20節

聖書箇所
ガラテヤ書6章11~18節

説教
新しい創造と焼き印 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/612 幻(ハゾン)

 主は私に答えられた。「幻を石板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽っていない。 ・・・ 正しい人はその信仰によって生きる。」                    ハバクク書2章2―4節
                            *「ハゾン」は神からの使信の意味

 旧約聖書の終わりのところに短い預言書群があります。十二の小預言書で、ヘブライ語聖書では十二巻と呼ばれます。ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書の十二巻です。
 ヨナ書を除けば、あまりなじみのない巻ばかりですが、新約聖書に引用されているなど重要なメッセージが記されています。
 ハバクク書は、神への問いかけから始まる珍しい巻です。預言者ハバククは、ユダ王国における不正と暴虐、そして神の沈黙に対する疑問を神に投げかけます。そして、神の答えを通じて、ハバククは バビロンによる裁きが訪れること、そして「義人はその信仰によって生きる」という信仰の重要性を悟ります。この「義人は信仰によって生きる」ということばは、新約聖書、ローマ人への手紙1章17節にも引用され、信仰を通した救いを指し示しています。小預言書は福音のことばに満ちていて、ハバクク書もその一巻です。

 待降節の前の数週間、ハバクク書から礼拝メッセージをさせていただきます。

2025年10月5日日曜日

2025年10月05日 第1主日礼拝 キリスト者の自由③ 共に生きること

招詞
    幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。               詩篇119篇1~2節

聖書箇所
ガラテヤ人への手紙6章1~10節

説教
キリスト者の自由③ 共に生きること 田口勇新牧師

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/611 真の平安

 人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。                        ピリピ人への手紙4章7節

 西オーストラリアのパースに、シャロームハウスという依存症患者の更生施設があります。入所者はクリスチャンスタッフに親身に寄り添われる中で神の平安と出会います。薬物、アルコール、ギャンブル依存などで人生をめちゃくちゃにしてしまった人たちが、イエスの十字架によって変えられます。自らの人生がイエスの復活によって再生されると気付くのです。

 人はキリストにあって真の平安と癒やしを手にします。平安は、単に平穏無事というだけではなく、神のすべてがそこにあるという意味で、それが「シャローム」です。平安はみんなに必要ですが、キリストと聖霊の内にしかありません。

 そういうわけで、使徒パウロは、ガラテヤの人々に聖霊の働きを指し示しました。聖霊が私たちの内で働くと、愛、喜び、平安などの実が結ばれ、日常生活の中で経験できます(ガラ5:22-23)。御霊は、揺るぎない真の平安に不可欠です。

 キリストとご聖霊の内にあって、日々の戦いのなかでも私たちは真の平安を経験します。今週も真の平安の中で進みましょう。         (B.クラウダー 「平安な人生」から一部引用)

2025年9月28日日曜日

2025年09月28日 第4主日礼拝 私たちが帰るのを 待っておられる神

招詞
 すべての国々よ主をほめたたえよ。すべての民よ。主をめ歌え。 その恵みは私たちに大きく、主のまことはとこしえに。ハレルヤ。                   詩篇117篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書15章11〜24節

説教
 
私たちが帰るのを待っておられる神 内田和彦師D V D視聴

言(こと)ローグ/610 平安と信頼

 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。                  ヨハネの福音書14章27節

 人生には予期せぬ急降下や急カーブがあり、ジェットコースターのようだと思います。聖書は、不測の事態に陥ったとき、最善の策は神を信頼することだと教えます。
 預言者イザヤは、敵に侵略され騒然となった国で「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです」(イザ26:3)と聖霊によって語り、神の約束を確認しました。
 神を信頼する時、人は理解を超えた平安を手にします(ピリ4:7)。私は乳がんと闘っていたある女性の言葉が忘れられません。教会の人たちとお見舞いに行って、いっしょに祈り終わると彼女は言いました。「この先どうなるかは分かりませんが、心配無いことは分かっています。だって、主イエスさまが今夜、私たちとともにここにおられるのですから。」
 人生に困難はつきものです。しかし、私たちをこよなく愛してくださる救い主は、どんな困難よりも大きなお方です。          (J.バンクス 「イエスはわたしの平安」から一部引用)

2025年9月21日日曜日

2025年09月21日 第3主日礼拝 立ち止まられたイエス

招詞
    私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。                詩篇116篇1~2節

聖書箇所
マルコの福音書5章25〜34節

説教
立ち止まられたイエス 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/609 信頼できるお方

 御名を知る者は あなたに拠り頼みます。                  詩篇9篇10節

 飢えた子猫だったミッキーを道端で見つけた夜からこの日まで、私は何かあるたびに看病をしてきました。ミッキーが目の病気になり、毎日、目薬をさしました。浴室の台に乗せると座っておびえた目で私を見つめ、ブシュッと飛び込む液体に身を堅くします。私は「いい子ね」とささやきます。病気や薬などということは理解できませんが、ミッキーは、飛び降りたり、威嚇したり、引っかいたりしません。むしろ、この試練を与えている私に寄りかかってくるのです。私を信頼できると知っているからです。それでミッキーは、私が信頼できる人だと学びました。理解できないことをされてもです。
 同じ様に、神の誠実さと品性を忘れないことは、何が起こっているのか理解できないときに、神を信頼する助けになります。私たちも人生の困難な時期にも神を信頼し続けることができますように。                       (K.フアン 「誠実な生き方)から一部引用)

2025年9月10日水曜日

2025年09月07日 第1主日礼拝 私たちを救うキリストの聖さ

招詞
    ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
                                  詩篇113篇1~3節

聖書箇所
マルコの福音書5章25~34節

説教
私たちを救うキリストの聖さ 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/607 よこしまな者(ベリアル)
 見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。                      ナホム書1章15節

 アッシリア帝国はかつて神の杖として、神の民(イスラエル北王国)を矯正するための道具として用いられました(BC722)が、自分の本分を越えて神に逆らったために、100年後には、新バビロニアとメディアに滅ぼされます(BC612)。この期間、南王国ユダはつかの間の平和を与えられたのでした。
 ナホム書では、よこしまな者(ベリアル)が1章11節と15節に2回使われています。単数形ですから、アッシリア王の名前センナケリブです。終末論的視点から見るならば、「べリアル」は確実に滅びる運命にあります。神はご自身の民であるイスラエルを立ち返らせるために、反キリストを用いられますが、最後にはこの反キリストおよび、その手下である偽預言者を滅ぼして、「硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込」みます(黙示録19:20)。今の世界を見ると、よこしまな指導者は各地に存在します。マスコミやネットに左右されず聖書の観点から時代を見る目を養う必要がありますね。
 このように、ナホム書1章は、そのまま「終わりの日」における出来事の予型となっています。それゆえこの章は、主に身を避ける私たちにとっては力強い希望と慰めを与える予型の書と言えるのです。                           (銘形「ベリアル」から一部引用)

2025年9月9日火曜日

2025年08月31日 第五主日礼拝 主の弟ヤコブ/ペテロの否認とイエス

招詞
    しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う人は。 彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。             詩篇112篇5~6節

聖書箇所
第1礼拝 ガラテヤ書2章8~10節
第2礼拝 ルカの福音書22章31~34節、54~62節

説教
第1礼拝 主の弟ヤコブ 田口勇新牧師(DVD)
第2礼拝 ペテロの否認とイエス 永井創世K G K 主事

言(こと)ローグ/606 全ての言語で

 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、 ほかの国々の言葉で話しだした。 
                                   使徒の働き2章4節

 アテネ中心部のある教会で、神の愛が母国の人々に届くように、仏語、独語、スロバキア語、ギリシャ語、英語など、さまざまな言語で祈りがささげられました。ペンテコステ当日だったこともあり感動はひとしおでした。
 ペンテコステ(五旬節)は、過越祭の50日後に祝われる収穫祭です(レビ23:15-21)。イエスが帰天後初の五旬節、主を信じる人たちはエルサレムに集まっていました。すると突然「激しい風」のような音が聞こえ、「炎のような舌」が現れ、人々は聖霊で満たされ、「“霊"が語らせるままに」外国語で話しました(使2:2-4)。エルサレムを訪れていた外国人は、自分たちの言語で「神の偉大な業」について聞きました(11節)。その後、ペトロが声を張り上げ(14節)、イエスが十字架で死に、復活されたのは、私たちが赦(ゆる)されるためだったと語り、多くの人々は、イエスの救いを信じました(22-41節)。
最初のペンテコステに集った人たちのように、私たちも神の愛を伝える力を聖霊に頂けるように祈りましょう。世界中のあらゆる言語で福音が語られるようにも祈りましょう。
                       (L.サムラ 「すべての言語で」から一部引用)