2026年1月25日日曜日

2026年01月25日 第4主日礼拝 岩の上に家を建てる人

招詞
 神は、われらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。たとえ地は変わり、山々が揺れ、海のただ中に移るとも。       詩篇46篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書5章17節、7章24~27節

説教
岩の上に家を建てる人 田口勇新牧師


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言(こと)ローグ/627 幸いな人々 ② み国における現在形と未来形

 
図を観察すると、第一の幸いと第八の幸いの理由を示す動詞が現在形であること。そしてそれに囲まれるようにして他の幸いの理由を示す動詞が未来形であることが分かります。これは、「天の御国が近づいた」という福音における「すでに今」と「いまだ」との緊張関係を如実に表しています。すでに今手にできる幸いな現実と、やがて時が来た時に手にできる完全な幸いの約束です。この時制を知るだけでも、ここで語られている幸いとは、叱咤激励したり、私たちの努力で実現できたりするものではないことがわかります。天の御国はすでに近づいています(到着しています)が、その御国の祝福の実現は将来において確実に約束されているのです。イエスを信頼し、約束を信じて、焦らず、心穏やかにみ国の到来を待ち望みつつ現在を進みましょう。 (銘形「幸いな人々」から一部引用)

2026年1月18日日曜日

2026年01月18日 第3主日礼拝 主イエスの友 洗礼者ヨハネ

招詞
  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。わざわいの日に、主はその人を助け出される。主は彼を見守り、彼を生かし、地上で幸せな者とされる。          詩篇41篇1~2a節

聖書箇所
マタイの福音書3章1、2~5節
ヨハネの福音書2章42~52節、3章11節

説教
主イエスの友  洗礼者ヨハネ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/626 み国における幸いな人々 ①

 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。    マタイの福音書5章1、10節

 山上の説教によれば、天の御国の幸いは、八つの面をもっています。天の御国はどのような人々によって成り立っているのでしょうか。それは「幸いな人々」によってです。「八つの幸い」は天の御国に住む人々の特権的幸いです。八つの中のどれかがあればそれで良いということではなく、天の御国に住む人々は八つのすべての面をもっているです。いくつかがあればそれで幸いということではなく、八つのすべての面をもっている人々です。つまり、それは八つで一つなのです。左の図はそのことを表しています。天の御国とは、八つの幸いのすべての面を持った民によって成り立っている神の支配(王国)なのです。              (銘形「幸いな人々」から一部引用)

2026年1月11日日曜日

2026年01月11日 第2主日礼拝 イエスの二泊三日

招詞
 私は切に、主を待ち望んだ。主に耳を傾け、助けを求める叫びを聞いてくださった。滅びの穴から、泥沼から、主は私を引き上げてくださった。私の足を巌(いわお)に立たせ、私の歩みを確かにされた。 主はこの口授けてくださった。新しい歌を、私たちの神への賛美を。 
                                   詩篇40篇1~3節

聖書箇所
ルカの福音書2章41~52節

説教
イエスの二泊三日 田口勇新牧師



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言(こと)ローグ/625 樹木の新年

 幸いなことよ。主を恐れ、主の道を歩むすべての人は。 あなたがその手で労下実りを食べること、それはあなたの幸い、あなたへの恵み。 あなたの妻は、家の奥で、たわわに実るぶどうの木のようだ。 あなたの子どもたちは、食卓を囲むとき、まるでオリーブの若木のようだ。
                                  詩篇128篇1~3節

 ユダヤ暦でシュバット月(11番目の月)の15日目を意味するトゥ・ビ・シュバットは「樹木の新年」を祝う日です。西暦では毎年1月頃に当たり、イスラエルのこの時期は雨季。木々が芽吹き、花が咲き始め、新しい一年のサイクルが始まる時期でもあります。トゥ・ビ・シュバットは、この自然界における新生をお祝いする日で、ドライフルーツやナッツ類を食べる習慣があり、植樹などの活動も盛んに行われます。
 主を畏れ、主の道を歩む者の幸いを(ドライ)フルーツを食べながら噛みしめるとは、すてきなアイデアですね。

2026年1月4日日曜日

2026年01月04日 第一主日礼拝 啓示の光

 招詞
    主に信頼し、善を行え。地に住み、誠実を養え。 主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
                                   詩篇37篇3~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章21~38節

説教
啓示の光 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/624 イスラエルの新年 ローシュ・ハシャナー

 毎年第七月の一日は祝日とし、ラッパを吹ふき鳴ならしなさい。その日はすべての民が仕事を休み、聖なる集会を開く。               民数記 29章1節 (リビングバイブル)

 イスラエルでは、ユダヤ暦の新年祭の時期になぞらえて、9月〜10月頃に新年を祝います。2025年は10月2日が新年でした。

 ローシュ・ハシャナーは元旦の2日間を示しますが、その後の連続した祝日を示すこともあります。10日後の「贖罪の日:ヨム・キプールまでの連続した祝日を「畏れの日々」としており、イスラエルでは長期の連休となることが多いです。

 贖罪の日:ヨム・キプールは罪のための贖いの犠牲を奉げる日です。十字架の金曜日と似ていますが異なります。

 「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」 ヘブル人への手紙 7章27節

 一回で完全に私たちの罪を赦し贖ってくださった主に感謝しましょう。このイエスさまを愛し、従いましょう。            シャナー・トヴァー(よいお年を=新年おめでとう)!

2026年1月1日木曜日

2026年01月01日 元旦礼拝 幸いな人ですか?

招詞
  ハレルヤ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。私は生きているかぎり、主をほめたたえる。いにちあるかぎり、私の神にほめ歌を歌う。                詩篇146編1,2節 

聖書箇所
詩篇1篇1~6節

説教
幸いな人ですか? 菅孝雄神学生

2025年12月28日日曜日

2025年12月28日 第4主日礼拝 東方の賢者たち

招詞
    幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえて歩む人々。 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。                  詩篇119篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書2章1~12節

説教
東方の賢者たち 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/623 大工の息子イエス

 イエスはこれらのたとえを話終えると、そこを立ち去り、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母はマリアといい、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。妹たちもみな私たちと一緒にいるではないか。それなら、この人はこれらのものをみな、どこから得たのだろう。」 こうして彼らはイエスにつまずいた。
                            マタイの福音書13章53~57a節

 小学5年のNさんが、「イエスさまはどうして大工なの」と聞いてきました。どうしてでしょう。
 イエスが大工の息子であったのは、決してどうでもよいことではなく、そこに神の隠された秘密があると思われます。なぜなら、「大工」のギリシア語は「テクトーン」、ヘブル語では「ハーラーシュ」といって、木工職人だけでなく、石工や金属職人なども含まれるからです。イエスの来臨の目的は、神と人とが共に住む家を造るためであったことを考えるなら、「大工」という仕事は軽視される仕事ではなく、むしろ大きな意味を含んでいるのです。ちなみに、文語訳は「木匠(たくみ)」で名訳だと思います。

 イエスは弟子たちに天国の住まいについて約束しています。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」                    ヨハネ14:2~3

 このように、公生涯の前30年間のイエスの日常の仕事にも、やがて神の究極の家を建て上げるという神の深い意図が隠されていたのです。感謝なことですね。 (銘形 「なぜ、イエスは大工の息子だったのか」より一部引用)

2025年12月20日土曜日

2025年12月21日 第3主日礼拝 クリスマス礼拝 羊飼いたちのクリスマス

招詞    
 この方(イエス)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。         使徒の働き4章12節

聖書箇所
ルカの福音書2章8~20節

説教
羊飼いたちのクリスマス 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/622 グローリア(天使の賛歌)
 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。                         エペソ人への手紙2章15~15節

 救い主誕生という喜びの知らせが、天使によって羊飼いたちに伝えられるや否や、天の軍勢が現われて、神を賛美する大コーラスが響きわたりました。グローリアです。イザヤが預言した「平和の君」(イザヤ9:6)は、使徒パウロによって「キリストこそ私たちの平和」(上掲)と宣言されています。「平和」は福音の重要な事柄です。「平和」とは、天と地、神と人、ユダヤ人と異邦人など、人間の罪が作り出す「隔ての壁」を打ち壊して、二つのものを一つにすること(それが「御国が近づいた」が意味する一つの意味)であり、それを実現してくださったのがキリストです。
 天の軍勢によって「いと高きところには栄光が、地には平和が」と語られたように、クリスマスの出来事―すなわち「救い主」の誕生は、御子イエスの誕生によって天と地がひとつに繋がることを告げ知らせているのです。つまり、天にある神の栄光が、御子によって地において実現するということの良き知らせなのです。キリストによってこそ、この宇宙にあるすべての「隔ての壁」が打ち壊されて、天と地が一つになることです(エペソ 1:10)。そのことを、私たちは深く、重く、受け止めなければなりません。神の栄光はまさにそこに輝くのですから。平和の神、主に感謝しつつ、平和をつくる者とならせていただきましょう。        (銘形 「天軍賛歌」より一部引用)

2025年12月14日日曜日

2025年12月14日 第2主日礼拝 ザカリヤの賛歌

招詞
   主の主であられる方に感謝せよ。 主の恵みはとこしえまで。 ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。主の恵みはとこしえまで。                 詩篇136篇3~4節 

聖書箇所
ルカの福音書1章67~79節

説教
ザカリヤの賛歌 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/621 神からの命名

 御使いは彼に言った。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリザベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。」
                                 ルカの福音書1章13節

 神からの命名が意味することを考えましょう。ユダヤの社会では子どもの命名は父親の責任でした。ところが、長い歴史の中で神から直接、命名された人物がいます。旧約ではイシュマエルとイサクの2人、新約ではバプテスマのヨハネとイエスの2人です。
 ちなみに、バプテスマの)「ヨハネ」はギリシヤ語の「ヨアンネース」で、ヘブル語の「ヨハーナーン」 をギリシャ語化したものです。「ヨハーナーン」は、主を表わす「ヤーウェ」の神聖文字と形容詞の「恵み深い」の「ハーナーン」の合成語で、「主は恵み深い」という意味です。砂漠で暮らしたヨハネは荒武者ではなく、恵み深いやさしい預言者だったようです。しかし、公生涯(30歳)に入ってヨハネが民衆に語ったメッセージは真逆でした。聞く人の心を震え上がらせるような鋭い内容で、悔い改めを迫るものでした(マタイ3章、マルコ1章)。罪は赦される前にはっきりさせなければならない、うやむやではいけないという聖書の原則がよく表されています。イエスさまも愛の方でしたが、パリサイ人達の欺瞞をきびしく責められました。私(たち)を受け入れて罪を赦して下さったイエスさまに感謝しましょう。イエスさまに感謝しつつ、続けてアドベントの週を楽しみ喜びましょう。